「らしさ」ほどあやふやなものはない
「らしさ」って何だろう、と思います。まず、「男らしさ」「女らしさ」という言い方がありますね。ほかにも「中学生らしく」「会社員らしく」「お坊さんらしく」とか、まあ、山ほどの「らしさ」があります。
よく耳にするフレーズの中では、変な言い方かもしれませんが、いちばん小さな「らしさ」が「自分らしさ」、いちばん大きい「らしさ」が「日本人らしさ」でしょうか。
しかし、改めて考えてみると、この「らしさ」ほどあやふやで、よく分からないものはありません。「らしさ」というからには、そのおおもと、基準になるものがあるはずですが、これが聞く人によって答えがさまざまなんですね。
「自分らしさ」といったって、本当に「自分」というものが何なのか分かっている人に、残念ながら私は一度も出会ったことがありません。自分が何だか分からなくて「らしさ」といったって、という感じです。
逆に、一人ひとりに「自分らしさ」があるとするならば、日本人1億2000万人それぞれに「らしさ」があることになりますから、それこそ「日本人らしさ」といったざっくりとしたまとめ方など、とてもできるわけがない。こういうことになるのではないでしょうか。
「空の教えによって異議あり」
そこに仏教は、「空」の教えによって異議あり、と唱えます。
「空」とは、「すべてのものに、変化しない固有の実体はない」という教えです。この教えに従えば、変化しない、絶対的な「らしさ」などはない、ということが分かります。
なぜ、不変の「らしさ」はないのか。それは、すべてのものは「縁」によって現在仮にそうなっているだけで、それに別の「縁」が加わったり、現在の「縁」が減ったりしたら、別のものになってしまうからです。
すべてのものは変化していくもの、変化をやめないものであり、同じ状態であり続けることはありません。そのように、同じ状態は続かないのに、「これはこういうものだ」とレッテルを貼るのは、単なる「こだわり」にすぎません。