いろいろな「風」に合わせて「帆」を変える

人生100年時代といわれる中、これから先も予想もしなかったこと、想定外のあれやこれやが次々と起きていくのでしょう。つまり、人生に順風満帆はあり得ない、ということです。

ただ、「順風満帆」についても、いくつか考え方があります。もっとも普通に解釈されているのが、「追い風」を受けての順風満帆。順風というのは、そういう「帆をいっぱいに膨らませてくれる一方からの風」のことでしょうし、1本柱に1枚の帆という日本の帆かけ船ならば、そういうイメージが浮かびますね。

しかし、海上も人生も、いつもいつも順風、つまり追い風ばかり吹いているわけではありません。いや、どちらかといえば、横風や斜め風、逆風のときのほうが多く、ときどきは台風のような大嵐に遭遇することもあるわけです。

そうした順風ではないとき、西欧の4本マストの帆船ならばどうか。たくさんの帆の張り方を千変万化させて、どんな方向からの風も受けられるようにする。時には逆風でも、目指す方向に船を進めて行ける思考法と技術を持っています。

風向きが変わったらそれに合わせて帆の向きも変える。そういう臨機応変の生き方ができるならば、ワザありの「順風満帆人生」が送れるかもしれませんね。

世の中には勝ちもなければ負けもない

私たちは、何かというと「あれかこれか」という話のつけ方をしてしまいます。さまざまな「分かりにくいこと」を分かりやすくするためのものごとの「二極化」ですが、世の中、そう簡単に「あれかこれか」「白か黒か」で決着がつくものではありません。

ものごとが「分かりにくい」のは当たり前なんです。ですから、「あれかこれか」「白か黒か」などと問われても、結局、そうした二極化のせいで逆に迷ったり、悩んだりすることになるわけです。

仏教のお経は8万4000あるといわれていますが、その中でもっとも読誦どくじゅされ、写経されているのは「般若心経」です。「般若心経」は、実は全部で300文字足らずの短いお経。ゆっくり読誦すれば約4分、早く読めば40秒くらいで終わってしまう短さですが、そこで説かれていることはたとえようのない大きさ、広さ、深さを持っています。

前半で説かれているのが、くうの大原則。すべてのものごとは「あれ」とか「これ」といった変化しない固有の実体はなくて、「縁」の集合体であり、絶えず変化し続けるという真理です。

この「空」の大原則をもう少しやさしく解説すると、次のようなことになります。たとえば「生」と「滅」、「あか」と「浄」、「増」と「減」といった対立概念、二極の概念をあげて、「そんなものは実体としてあるわけではない」と否定しています。そしてこの考え方は、先にあげた3つの例だけでなく、対立概念すべてにいえることだとしています。

そのように考えれば、世の中には「勝ち」もなければ「負け」もありません