一途であることの危うさ

さらに「危うさ」を感じるのは、おそらく眞子さまが、男性に免疫のない「純粋培養」の「お嬢さま学校」を経て大学に進み、人生で初めてお付き合いしたであろう男性にほれ込み、結婚まで突っ走ってしまった様子が垣間見えることです。

学習院は幼稚園、初等科、大学は共学ですが、中学・高校は男女別で場所も別です。眞子さま、そして私の母校でもある学習院女子中・高等科(学習院女子部)は東京・高田馬場にあり、周囲との交流が隔絶された生粋の「お嬢さま学校」です。

挨拶は「ごきげんよう」。隣接して都立戸山高校がありますが没交渉(グラウンドが接しており、部活や体育の授業で、たまに戸山側に入り込んでしまうボールを投げ返してもらっていた位)。東京・目白にある男子の学習院中・高等科との公式な交流は年1回、筑波大学付属中学・高校と学習院との間で長年、行われて来た交流スポーツ大会「附属戦」の時のみです。私の知る限り、「附属戦」で男女交際に発展したケースはほとんどありません。

学習院女子部では身近にいる男性が教諭のみ(当然ながらモテモテで、生徒と結婚に至るケースも結構ありました)。基本的に女子のみの「純粋培養」で男性の免疫がありません。なので大学に進学した途端、最初に付き合った男子学生と、純愛を貫いて結婚する、という例をたくさん見てきました。

眞子さまは、女子高等科から推薦入試で国際基督教大学(ICU)に進学。おそらく男女交際の「免疫」はそれまでなく、初めて付き合った男性が小室さんだったのでしょう。インターナショナルスクールに通い、母子家庭で育った小室さんは、それまで見たことのなかったタイプであり、出逢って瞬く間にかれ、一途いちずになってしまったのではないでしょうか。

もう少し「免疫」があれば、あるいは違った選択になっていたのかもしれません。

なぜ学習院を選ばなかったのか

東京・四谷の学習院初等科の門
写真=Wikimedia Commons/Harani0403
東京・四谷の学習院初等科=2012年3月25日

秋篠宮家の「アンチ学習院」には理解に苦しむところが多々あります。眞子さま、佳子さまの大学からのICU進学、悠仁さまの、幼稚園からのお茶の水女子大学付属への進学は、学習院OBOGを深く傷つけてきました。

進学先を選ぶ自由はあるとはいえ、皇族のために作られた歴史のある学校を、あえて選ばない理由は明確ではありません。ご結婚前の秋篠宮ご夫妻の在籍時以降、ご一家は学習院に多大にお世話になってきたはずで、その「恩義」を忘れているようにも見えてしまいます。

まずご結婚前の紀子さまは、父の川嶋辰彦さんが学習院大学経済学部教授だったことで、目白の学習院裏の教職員宿舎に住み、ご成婚当時は「3LDKのプリンセス」とうたわれました。家賃は相場より格安、かつ教職員の子女が学習院に通う場合、学費は半額でした。