記事がタダで読める時代に

——ネットニュースの最大の罪は、記事はタダで読めるという認識を広めてしまったことだと言われていますが、優秀な記者が時間とお金をかけた本当におもしろい記事であればネット上でも売れるんですね。

【新谷】今のネットニュース業界は、プラットフォーマーの立場が圧倒的に強い。なので、われわれコンテンツ業は、足元を見られ、買い叩かれてしまう。言ったら、不平等条約ですよ。でも、プラットフォーマーたちが本当に欲しいと思える記事をつくることができれば、対等に付き合える。

『週刊文春』の場合、それはやっぱりスクープだった。スクープ系の記事は、コストがかかるし、リスクもともなう。取材対象から訴訟を起こされることもあります。そんな中、他社がスクープ合戦からどんどん降りていった。でも、『週刊文春』はむしろスクープにこれまで以上に力を入れている。そうしているうちに、NHKに受信料を払うくらいなら文春に払いたいと言ってくれる人も出てきた。そういう空気は、今、すごく大きな力になっていると思いますね。

取材対象者に群がるハンディレコーダー
写真=iStock.com/microgen
※写真はイメージです

時に人命に関わるのもスクープの宿命だが…

——記者の多くは、そのような現場に出くわすことはそうそうないと思いますが、戦場カメラマンなどは「人命か、スクープか」という場面に立たされることもありますよね。もし、そういう場面に出くわしたとして、新谷さんだったらどちらを取りますか。

【新谷】人命でしょうね。記者である前に人間なので。人が死ぬのを見殺しにしてまで、取材を優先することはできない。きれいごとではなく、消えない罪を一生、背負うことになるわけだから。そのあと、いい仕事ができなくなると思う。自分で自分のこと「人殺しかよ」って思い続けないといけないわけでしょう。

——最悪の場合、メディアによる報道がその人を追い詰め、自殺に追い込んでしまうことはありえます。2002年に『週刊文春』が当時農林水産相だった大島理森衆院議員の政策秘書の金銭的スキャンダルを暴き、秘書の妻が自殺したということもありました。そのとき、新谷さんはデスクだったんですよね。どのように心を整理したのでしょうか。

【新谷】ショックですよ。大前提として、亡くなられた方に申し訳ないという感情はある。ただし、書かなければよかったとは思わない。それは、まったく別の問題です。記事を書くことによって、そういうリスクは常にあるんです。リスクには、ある程度、予測できるものと、雑誌が世に出てからでないと分からないことがある。