「なぜ書いたのか」をしっかり説明する

【新谷】大島議員のケースは、後者でしたね。そこは考え始めたらきりがない。リスクを避けるために、ここは削る、あるいは書くことを断念するということばかりになってくると、われわれが読者に伝えられる領域がどんどん狭まっていってしまう。

——生きている人間のことを書くわけだから、良くも悪くも、まったく影響がないということはありえませんもんね。

【新谷】誰もが情報を発信できる1億総メディアの時代にあって、そこまで他人が人のプライバシーを暴く必要があるのかという指摘を受けることもあります。でも、人は基本的に自分に都合のいい情報しか発信しない。発信者が権力者だった場合、受け手をミスリードしてしまうことあるわけです。

なので、本人が発信している情報だから全部本当だと、なんでも鵜呑みにしている状況は健全ではありません。ただ一方で、なぜ、リスクを負ってまで書くのかという覚悟は問われます。「自殺したから削除します」では通らない。最悪の事態も想定しつつ、何かあれば、なぜ書いたのかをきちんと読者に説明しなければならない。

インタビューに応じる前『週刊文春』編集局長、『文藝春秋』編集長の新谷学さん
撮影=門間新弥

——記者は、命を奪うだけでなく、反対に命を奪われる危険性もあります。

【新谷】フランスの新聞、シャルリー・エブドなんて、まさにそうですよね。宗教の風刺画を掲載し、それがきっかけでテロ組織に編集部を襲撃され、12人もの犠牲者を出した。にもかかわらず、彼らはその事件の裁判の日にあわせて、原因となった風刺画を再掲載した。たとえ自分たちの命が危険にさらされようとも、自分たちは表現の自由を、民主主義を守るんだという決意表明ですよね。

週刊誌が「スクラップ」なら月刊誌は「ビルド」

——そういう意味では、芸能人のスキャンダルは、「なぜ書いたのか」という大義名分を掲げにくいと思うのですが。

【新谷】有名人の色恋沙汰は、将来的に、教科書に載るような出来事ではない。でも、人の営みから、いろんなことを感じたり、いろんなことを学んだりするのも人間です。雑誌メディアとして、世俗的なこと、大衆的なことを記録するのは意味のあることだと思っています。ゴシップという娯楽は、瓦版の時代から続いているカルチャーでもありますから。