もう一つには、やはり無謬主義があるのかもしれない。過去の誤りを認めようとしない姿勢である。
異次元緩和はもともと、「国民に中央銀行を信じさせること」を効果波及の出発点としていた。それだけに、完全無欠の姿勢を保とうとする姿勢が強いようにみえる。
また、日銀の政策委員は衆参両院の同意を得て、内閣が任命する。国会は、候補者の経験や実績のほか、過去の言動などを踏まえ賛否を投じる。このため、過去の言動などは一種の「公約」とみなされやすい。
金融政策は日々の経験を基に知見を深めていくものであり、政治公約とは異なる。日銀法も、政策委員のその時々の判断が守られるよう「その意に反して解任されることがない」との身分保障の規定を置く。それでも、政策委員が過去の言動に縛られやすいことは事実だろう。
グローバルスタンダードが2%ならば、目標の達成は難しい
日銀が頑なな態度を維持し、物価目標を見直さない以上、現実問題としての金融緩和の出口は「物価が安定的に2%を達成できるかどうか」の一点に絞られる。出口が遠い第二の理由は、物価2%の達成が容易でないことだ。
前述のとおり、日本の物価は過去三十数年間、前年比2%を超えたことがほとんどない。このことは、日本の物価が海外諸国よりも常に一定の幅をもって低く推移してきたことを意味する。例えば、同期間中、日本は米国の物価を平均1.7%程度下回り続けてきた。
日銀がいうように「グローバルスタンダードが2%」であれば、米国をはじめとする海外中央銀行がスタンダードを超えて、よほど高い物価上昇率を容認し続けない限り、日本は安定的に物価2%を実現できないことになる。
もちろん、内外の物価の高低や乖離幅は、永久のものではないだろう。しかし、物価が上がらない理由を「適合的期待」とするばかりでは、乖離幅の縮小や逆転の可能性を推し測ることすらできない。
今後ワクチン接種が相当に進めば、景気の大幅回復から物価が急反発する場面もありうる。しかし、物価の現状を「適合的期待」だけで説明していては、やはり物価の急騰が一時的か半永久的かを判別することもできない。
その一方で、物価は2%を下回りながらも、2010年代は大方の年で潜在成長率並みの経済成長を実現した。そうした事実を踏まえれば、今、日銀に求められるのは、物価の深い分析と物価目標の再検討にほかならない。