撤回された目標達成期限「2年」
異次元緩和の変質は、当初のもくろみが完全に期待外れに終わった結果だ。
もともとの政策フレームワークは、米国のノーベル経済学者、ポール・クルーグマン氏(ニューヨーク市立大学大学院センター教授)らが主張したロジックに依拠していた。①中央銀行が物価目標に強くコミットし、②量的拡大の継続を約束すれば、③国民の物価期待(インフレ心理)が高まり、④その結果実質金利が低下し、⑤経済活動が活発になる、という論理立てである。
日銀が物価目標に「2年、2%」を掲げ、調節目標に量的指標「マネタリーベース」を採用したのは、まさしくこのロジックに沿うものだった。しかし、「量的緩和を約束すれば、国民の物価期待が高まる」という見立ては、完全な空振りに終わった。
これ以上「2年、2%」を掲げても、国民は日銀の発信を信用しなくなるだけと考えたのだろう。2016年、日銀は「2年」を放棄し、目標達成期限を明示すること自体をとりやめた。
しかし、「2%」は見直さない
しかし日銀は、物価目標の「2%」は見直さない。自ら掲げた目標を8年以上達成できない以上、目標の適切さを疑うのが自然だが、「2%はグローバルスタンダード」といって、突き放す。さらに最近は、物価目標を達成できない理由として「適合的期待」(人々の根強いデフレ心理)の存在を強調する。
適合的期待とは、「人々の物価予想は過去の経験に引きずられがち」との説だ。とくに日本人は過去の実績から「物価は将来も上がらない」とみる傾向が強く、これが物価を上がりにくくしているという主張である。
しかし、1980年代半ば以降、物価が前年比2%を超えたのは、バブルの後遺症にあたる90~92年だけである(消費税率引き上げの年を除く)。いまさら「適合的期待」を主張されても、単に物価と経済の関係を読み誤っていただけにしかみえない。
金融政策を適切な軌道に乗せるには、読み誤りの理由を深掘りする必要がある。「適合的期待」との言葉だけで、説明を終えてはならない。
「量」から「金利」へ、しかし「量」の旗も降ろさない
日銀は、金融調節のターゲットも「量」から「金利」に戻した。異次元緩和の当初、日銀は調節上のターゲットを代表的な量的指標である「マネタリーベース」に据えた。
マネタリーベースとは、流通現金と日銀当座預金の合計をいい、日銀が世の中に直接供給するお金の総量を示す。お金の総量をターゲットとしたのは、大量の資金供給こそが国民のインフレ心理を駆り立てる、というロジックに立脚したものである。