6度の延期を繰り返し、2020年に事実上の開発凍結に

7月1日付の日刊工業新聞に三菱航空機の決算公告がひっそり載った。そこに記された2021年3月期の債務超過額は5559億円。国産初のジェット機「スペースジェット」(2019年にMRJから名称変更)の開発を実質的に凍結したが、前期の4646億円から900億円超も膨らんだ。今年3月には資本金を1350億円から5億円に減らし、累積損失の一部を穴埋めしたが、バランスシートはなかなか改善しない。

「日の丸ジェット」は日本の産業界の夢を背負っていた。日本の産業構造は「自動車一本足」といわれる。自動車1台あたりの部品点数は2万から3万点。一方、ジェット機は100万点ともいわれる。「日の丸ジェット」商用化は、雇用や経済・産業への波及効果が大きく、日本の産業構造を刷新すると期待されていた。

しかし、6度の延期を繰り返し、2020年に事実上の開発凍結に追い込まれた。親会社である三菱重工業は、この間、いくつもの失態を犯している。そのひとつが「経営サイドの混迷」だ。

同じ国産の「ホンダジェット」はリーダーが不変

三菱航空機の社長はこれまでに6人。2008年に初代社長となる三菱重工の戸田信雄執行役員が就任して以来、20年までにたびたび交代してきた。そこに込められた狙いは、こんなふうに説明されてきた。

「プライドが高く縄張り意識が強いといわれる名古屋航空宇宙システム製作所の閉鎖的な体質を打破する」「火力発電プラント出身という門外漢だが、本社のにらみが利く体制にする」「ライバルのカナダ・ボンバルディア出身の技術者を招いて、遅れを取り戻す」……。

しかし、そうした狙いは裏目に出続けた。結局、トップが変わる度に現場が混乱することになったのだ。同じ国産の「ホンダジェット」はさまざまな困難を抱えながらも藤野道格氏が30年もの間、トップに君臨。日本勢として初めてプライベートジェットの市場を開拓していった。機体の大きさが違うため単純比較はできないが、あまりにも対照的だ。

2019年6月2日、カナダ・ハノーバー空港で燃料を補給する駐機場のホンダジェット
写真=iStock.com/Diane Kuhl
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