失敗の原因となった「根拠のない楽観」
また、「根拠のない楽観」というのも、失敗の原因となった。
たとえば「型式証明」だ。安全性が問われる航空機の商用飛行の資格を得るには100万点ともいわれる部品のすべてに耐空性を証明しないといけない。型式証明の審査・承認は原産国の航空当局が担うが、YS-11以降、民間旅客機の開発を日本は手掛けていなかったこともあり、「管轄する国土交通省に知見のあるスタッフは片手にも満たなかった」(三菱重工)という。
国交省でもスペースジェットの型式証明のために検査官が大幅に増員され、ボンバルディアや米ボーイングから型式認証の経験者を招いて対応に回った。その背景には、スペースジェットには同じサイズのボンバルディアやエンブラエルなどに納入される海外製の部品が多く採用されていたため、「海外から購入した部品に少し手を入れれば型式証明は取得できる」という認識があったようだ。しかしそれは甘かった。三菱重工はスペースジェットの仕様にあわせたデータをイチからとり、開発しなおさなければならなかった。
戦闘機は防衛省が責任を負う構造になっているが…
型式証明を審査する国のスタッフもいなければ、ノウハウもない中で、国交省や三菱重工は審査にかかる時間を節約するために、アメリカ当局のサポートを仰いだ。日本の航空当局の審査で過不足がないかアメリカ当局にチェックしてもらったり、部品の規格や品質など一つひとつの事案を米当局に確認してもらったりしながら作業する手間のかかるやり方に頼るしかなかった。
国が60%を出資して開発したYS-11とは違い、スペースジェットの開発主体はあくまで三菱重工という民間の1社だ。YS-11が頓挫した後、三菱重工は川崎重工やスバルなどとともにボーイングなどの下請け(サプライヤー)として、航空機開発に携わっている。しかし「全機」と「部品」の開発では、担う範囲や規模がまったく違う。
三菱重工は防衛関連の戦闘機開発の実績がある。しかし戦闘機は防衛省が開発予算や安全性・機能性を含めた仕様や審査などを行い、責任も負う。一方、旅客機の場合は、すべての責任を民間メーカーが負う。構造もまったく違うのだ。