角刈りの車引き、モヒカンのチンピラ、麻薬密売人……華々しい宝塚の舞台にて、名脇役としてトップスターを引き立て、唯一無二の存在感を発揮した天真みちるさん。著書『こう見えて元タカラジェンヌです』には、そのバイプレイヤーっぷりがユーモアたっぷりに描かれている。誰よりも宝塚を愛した彼女は、どうやって卒業までの道を歩んだのか。「積み重ねたキャリアの手放し方」、そして「未来につながる自分の強みの見つけ方」とは――?
天真 みちるさん
編集部撮影
天真 みちるさん

「劇団のすべてを背負ってほしい」と期待される苦悩

——天真さんが宝塚音楽学校に入学したのが、宝塚歌劇90周年の年。それから10年をかけて「脇役のトップスター」を極めていったわけですが、100周年を迎える年に複雑な思いを抱えることになります。

【天真】100周年記念で歴代のトップスターさんが集まったときに「この素晴らしい劇団のすべてを背負って、引き継がなければ」と思ったんです。宝塚には「歌劇団葬」という言葉があります。それは、生涯すべてを劇団に捧げ、劇団でお葬式をあげること。春日野八千代さんというレジェンドの方がそうでした。そこで私は、「よっしゃ、すべてを背負って引き継いだる! 次の歌劇団葬は私があげる!」そう強く思ったんです。同期にも高らかに宣言しました。骨を埋めることを決意してからは、「背負うとは」「引き継ぐとは」を神経質なほど考えて過ごす日々。そこで……わかったんです。「だめだ、向いてない」と。

——「向いてない」とは?

【天真】私はそもそも、役への探究心だけでここまで来た人間です。役を掘り下げていくと、「私はここで弱音を吐いてしまうのに、この人の強さはどこにあるんだろう」「私だったらここで逃げ出すのに、なぜこの人は向き合うことができたんだろう」など、自然と自分と向き合うことになります。そういう視点で劇団の生徒を見ていると「役への取り組みが真剣勝負だな。感覚でやっている私は甘いな」「人を教えるときに、こんな的確な言葉で指導することができるだろうか」など、自問自答する時間が増えていきました。100周年という特別な1年間だからこそ、考えて考え抜いて、その責任を負い続けることは、私には無理だという結論に達したんです。

——宝塚という環境に入って10年、中間管理職としての責務も負っていたと思います。

【天真】10年経って上級生となると、舞台裏ではトップや演出家の意図を汲んで下級生をまとめ上げること。舞台上では場を締める役者として存在感を発揮すること。そのどちらもが求められます。補佐としてもプレーヤーとしても輝けるかどうか。それが上級生である中間管理職の責務だとするならば、私はそろそろ宝塚から外に出たほうがいいのかもしれない。さらに外に出てからでも、自分なりの支え方ができるのかもしれない。そう考えるようになったんです。