生首に当たる優しいスポットライト

カラヴァッジョは、最晩年に「ゴリアテの首を持つダビデ」を描いた。旧約聖書に登場するダビデが巨人ゴリアテを倒し、その切り落とした首を持つ場面だ。切り落とされたゴリアテの頭部は、まさにカラヴァッジョ自身の自画像だ。大きな悲しみを浮かべた目と観念したような半開きの唇。自らの死を予言したのかもしれない。

カラヴァッジョ『ゴリアテの首を持つダビデ』
カラヴァッジョ『ゴリアテの首を持つダビデ』(1609-1610、ボルゲーゼ美術館蔵)(写真=Caravaggio/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

そんなゴリアテの生首には、慈悲深く優しいスポットライトが当たっている。カラヴァッジョは、血と暴力に彩られた生き方を自らが実践することで「真のリアリズム」を手に入れ、最高傑作を完成させることができたのだ。

カラヴァッジョは、1610年7月、ナポリからローマへと向かう途中でお尋ね者の山賊と間違えられて逮捕され、釈放後おもむいたトスカーナ地方の港街ポルト・エルコレの海岸で7月18日に亡くなった。38歳だった。死因は病死とも、鉛中毒とも言われているが、マルタ騎士団による暗殺だったという説もある。いずれにしても、長いあいだ闇の中を歩き続けたカラヴァッジョ最期の場所が地中海の光に溢れた海岸だったというのは、何とも皮肉な話だ。

6歳で父を、19歳で母を失う

1571年、カラヴァッジョはミラノで生まれた。父は侯爵家に仕える執事で、土地や財産を持っていた。しかし、彼が6歳の時、ペストが大流行。父、祖父、叔父が相次いで死んでしまう。少年カラヴァッジョは、借金を抱えた母を助けるため、12歳から細密描写が得意なミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノに師事し、絵画の勉強をはじめた。当時人気があった画家のジローラモ・サヴォルドやレオナルド・ダ・ヴィンチの絵からも光の効果や静物画の技術を学んだ。

しかし、19歳の時、最愛の母が亡くなってしまう。彼は絶望した。ここからカラヴァッジョの暴走がはじまる。弟、妹と母の遺産を分けると、彼は家族を捨てローマに旅立った(何らかの傷害事件を起こしたから、という説もある)。読書が好きなおとなしい少年は、感情が激しく粗暴な性格になっていった。社会性に乏しく性格はひねくれ、自信過剰で自己中心的、皮肉屋であらゆる画家の悪口を言っていたらしい。実際に1603年、ライバルの画家ジョヴァンニ・バリオーネを誹謗ひぼう中傷する詩を公表し、名誉毀損きそんで訴えられている。もしカラヴァッジョが現代人だったら、SNSで発言が大炎上するようなタイプの男だったかもしれない。