投獄と脱獄を繰り返して
死刑宣告を受け、指名手配されたカラヴァッジョはローマから逃亡した。ローマの司法権では罰せられないナポリでパトロンとなる貴族を見つけることに成功するが、ここでも再びケンカをして、相手に重傷を負わせてしまう。そのため、マルタへ逃げながら、次々と傑作を描いた。それでもカラヴァッジョはケンカを続けた。投獄と脱獄を繰り返し逃げ続けた。
残酷な場面を描いたカラヴァッジョの絵画は、まさに彼自身の体験がモチーフとなっているのだ。逃げれば逃げるほど、ケンカをすればするほど絵画に迫力が生まれることを発見してしまったのかもしれない。写真がなかったこの時代、彼は人を斬った後も、まじまじと血が流れる様子を観察していたのだろう。剣のひと振りがカラヴァッジョのスケッチだったのだ。
一枚も「自画像」を残さなかった理由
もしかするとカラヴァッジョは、2次元の世界で描いた残酷な世界と、3次元の現実世界の区別がつかなかったのではないか。描いた作品の登場人物は、すべてカラヴァッジョ自身であり、絵画というドラマチックな劇場空間の中で彼は生きていたのかもしれない。
というのも、カラヴァッジョは、生涯で一枚も自画像を残さなかった(画家のオッタヴィオ・レオーニが描いた彼の肖像画は残されている)。
そして、作品に登場する男は、いつも同じ顔だ。大きな目、二重のまぶた、眉毛は濃く、目の色は黒、鼻は低い。ほとんどが同じ男に見える。
当時、モデルを雇うお金がなかったから自分を見て描いた、という説もある。代表作「果物籠を持つ少年」も「病めるバッカス」もなぜか彼自身の顔にそっくりだ。
カラヴァッジョの作品は、すべてが鏡のように彼の心の内側を映し出した「表裏一体の絵画」と考えると納得できるのだ。