共同体主義がブレーキを外している
ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の指揮官から名を取ってこう名づけられた実験では、教師役の被験者と生徒役の人(サクラ)が同じ部屋に入れられ、生徒役の人は電気いすに縛りつけられた。教師役の被験者は実験者から、生徒役の人が答えをまちがえるたびに強度を上げながら電気を流すよう言い渡された。
すると教師役の被験者は指示どおり電気を流し、高圧の電流で生徒役の人がもがき苦しむ姿(演技)を目にしても、ためらわずに電気を流し続けたのである。
同調圧力で思考停止に陥ることがいかに危険かを物語っている。
問題は、このような危険性が十分に認識されていないことである。たとえば不祥事が明るみに出ると、責任者は判で押したように「管理の徹底」や「綱紀粛正」を唱え、周囲もそれを受け入れる。その結果、当面は不祥事を防ぐことができるかもしれないが、問題意識と責任感は内面化されていない。
そのため、管理が強化されるとますます無批判に追随し不祥事を繰り返すといった現象が起きる。前述したように同じ企業で同種の不祥事が繰り返され、行政の啓発活動や人権意識の高まりの中でもイジメやハラスメントがなくならない背景には、このような悪循環が生じている可能性がある。それを防ぐためにも、不祥事の根底に共同体主義という目にみえない病根が潜んでいることを疑わなければならない。