またイジメやハラスメントに抗議すれば、下手をすると共同体を敵に回すことにもなりかねない。共同体の中には公式・非公式の序列が存在するので、承認を失わないためには上下関係に基づく少々の理不尽は堪え忍ばなければならないのである。

それをよいことに加害者は図に乗る。こうしてイジメやハラスメントがだんだんエスカレートしていく。なお神戸市公立小学校の事件でも、加害者は被害者より年長で教員歴も長く指導的立場にあったことが報告されている。(注6)

(注6)第三者委員会の調査報告書による

このように加害者、傍観者、被害者の3者がそれぞれ承認欲求に呪縛され、それが共同体の構造的な要因と相まって不幸な結果をもたらしていると考えられる。

なぜ犯罪にまで手を染めてしまうのか?

しかし、それだけではまだ納得できない疑問が残る。いくら共同体組織という特殊な環境があり、その中で認められることが大切だとしても、犯罪にまで手を染め、場合によっては民事的・刑事的に訴えられるようなリスクを冒すだろうか? また不正義を目にしたメンバー全員が傍観するようなことがあるだろうか?

やはり、そこには冷静な判断、合理的な計算を麻痺させる力が働いていたと想像される。冷静な判断や計算抜きで共同体の論理に従わせたもの。たとえ我に返って正義との葛藤に陥ったとしても、その葛藤を打ち消したもの。それがイデオロギーとしての共同体主義である。

そのことを裏づけるように、部員への暴力事件を起こした名門校の監督や、不祥事に関わった企業の幹部は当時を振り返って、「部員に熱意が感じられなかったので、つい手を出してしまった」とか、「当時は異論を唱えられる空気ではなかった」「会社の方針に反することは考えないようにしていた」と口にする。また「組織を守ろうとする一心から一線を越えてしまった」と述懐する人もいる。

容易に想像がつくとおり、そこにはファシズムや軍国主義に洗脳された人たちが無感情に、ときには自ら進んで残虐行為に及んだ姿とも共通するものがある。

心理的圧力を受けた人間が容易に思考停止状態に陥ることを裏づけた研究としてよく知られているのが、いわゆる「アイヒマン実験」である。(注7)

(注7)S・ミルグラム(岸田秀訳)『服従の心理 アイヒマン実験』河出書房新社、1980年