日本型組織に根付く「個人の未分化」という問題
構造的な要因の中でも見逃されやすいのは、前述した「個人の未分化」である。個人の仕事の分担や権限などが明確になっていると、いわばシェルター(避難所)のように個人を外圧から守る。ところが日本の組織では一人ひとりの分担が不明確で、個人が組織や集団に溶け込んでいる。
たとえ制度上は分担が決められていても、実際は集団単位で仕事が行われるケースが多い。そのため、圧力が直接個人にかかる。上司と部下が一緒に仕事をする機会も多いのでパワハラも起きやすい。
未分化の問題はそれだけにとどまらない。上司を含めた集団単位で行う仕事が多いので、部下は命じられなくても上司の立場や意向を忖度し、行動する。また、大事な意思決定も非公式な話し合いやあうんの呼吸で行われる。その結果、いつ、だれが決定したのかはっきりしないようなことが起きる。
そうすると、たとえ不祥事が発覚し、責任を追及されても上司は「命じてはいない」「部下が勝手にやったことだ」と言い逃れできるし、部下はそもそも権限がないので責任を追及しようとしても限界がある。
「集団無責任体制」だと何が起こるか
かくして、そこに責任の空白地帯、「集団無責任体制」ができる。自分の責任が追及されないと思えば大胆になり、ルールを破ってでも自分の利益を追求する者があらわれる。個人が未分化な共同体型組織では個人が圧力の「犠牲者」になるだけでなく、組織を隠れ蓑にした不祥事の「犯人」になる場合も少なくないのである。
しかし、実は構造的な要因だけが不祥事を引き起こしているわけではない。企業等における不祥事の事例からは、共同体型組織という構造的な要因にイデオロギーとしての共同体主義が加わり、それが組織メンバーへの圧力となって不祥事を引き起こしたケースが多いことがわかる。
東芝の不適切な会計処理をめぐっては、経営陣があまりにも高い収益目標を設定し、「チャレンジ」と称してその目標を達成するよう現場に強く迫った。それが不適正な会計処理を引き起こしたといわれる。(注1)また三菱自動車の燃費データ偽装も、業界内の競争による焦りが背景にあったことが指摘されている。
(注1)第三者委員の調査会報告書による