その5 説教話、昔話、自慢話をしない

説教話、昔話、自慢話を「歳をとってやっちゃいけない3つの話」として語ったのはタレントの高田純次さんです。私は番組で何度かご一緒させていただいたことがありますが、本当に紳士で気さくで軽やかな印象の方でした。高田さんを拝見する度に、こんな雰囲気を持って歳を重ねることができたら、さぞ素敵だろうなと感じました。

3つの話はどれもついしてしまいがちなものばかりです。

説教話は、自己顕示欲の現れ

自分が持っている知識、経験が役に立つ、自分の方が正しいという思いから説教をします。

本当にそれらの知識、経験が後進にとって役に立つものであればよいのですが、得てして独りよがりなものになっています。また説教という言葉には多分に上から目線というニュアンスが入っていて、聞かされる人にとっては迷惑でしかありません。

今のように変化が速い時代、年長者の知識、経験は役に立たないどころか、かえって邪魔になることが往々にしてあるくらいの意識でいて丁度良いのではないでしょうか。

昔話の裏に隠れているのは執着

昔は良かった、昔はこんなではなかったと自分が良かった時のことを話します。

昔話を聞かされる側は、そんなに昔が良かったと言われても今は昔ではないし困ります。あるいはなんて時代錯誤な考え方をしているのだろうと呆れます。

目の前のことを見れずに昔に執着する可哀想な年長者ではなく、今を楽しむ、加齢を楽しんでいる年長者と見られた方が、自分もそうなってみたいと周りに人は集まるでしょう。

自慢話の裏にあるのは「認めて欲しい」からくる孤独感

自慢話をする人は周りから認められているという実感が希薄です。

だから自分から進んで認められるようなことを言います。ただ、往々にしてそれは聞く側からすれば鼻につくものになりますし、また感心するようなものにはなりません。

それがより孤独感を強めることになってしまいます。

さて、説教話、昔話、自慢話をしないとしたら、他に何を話せばよいのでしょうか。先にも書いたとおり、何を話せばいいのか考えるのではなく、どう聞けばいいのか考えることです。

自己顕示欲の裏に隠れているのは自己有用感ですが、人の役に立ちたいと思うのであれば、自分の話をするのではなく、人の話を聞く側になった方が自己有用感を高めることができるのです。結果、迷惑になるような自己顕示欲を手放すことができます。

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