●衛藤昂:他の社員と同様「フルタイム勤務」の理系ジャンパー

衛藤昂は高専出身の理系ジャンパー(走り高跳び)だ。5年制の鈴鹿高専、2年制の鈴鹿高専専攻科を卒業後、筑波大院に進学した。陸上アスリートとしては異色の学歴を持つ。

筑波大院に進んだ理由のひとつは、「シューズ開発をしたい」から。大学院では、「スパイクの変形」を研究。自らが被験者となり、ケガの予防やパフォーマンスアップにつながるための条件などを探った。その取り組みは、アシックスとの共同研究となり、さまざまなデータとして残っている。

競技に夢中になるとセカンドキャリアのことまであまり意識がまわらないが、衛藤は常に先のことを考えてきた。「高専に入ったのは就職がいいから」という理由もあったほど。大学院時代は、「結果を出せなければ普通に就職しようと思っていた」というが、2年時(2014年)に北京世界選手権の参加標準記録(2m28)をクリア。「2年後のリオデジャネイロ五輪は遠くない」という気持ちになったという。

走り高跳び
写真=iStock.com/BraunS
※写真はイメージです

2021年に三重国体が開催されるタイミングもあり、衛藤は地元のAGF鈴鹿に入社して、競技を続けることになった。AGFの親会社である味の素はナショナルトレーニングセンター、マルチサポートハウスなどでアスリートのバックアップをしているものの、グループ企業を含めて、「社員アスリート」は衛藤が初めてだった。

駅伝チームを抱える実業団は一般業務を大幅に免除されているケースが多い。しかし、衛藤の場合は“ほぼフルタイム”の勤務をこなしながら、競技力もアップさせてきた。日本選手権で3連覇(16~18年)を達成して、3度の世界選手権(15年北京、17年ロンドン、19年ドーハ)と16年リオ五輪にも出場した。

今季限りで引退「ビジネスの世界でも他の社員に負けたくない」

「鈴鹿高専の校訓が『文武両道』だったこともあり、学生時代から勉強しながら競技をやってきました。それに引退した後がすごく不安なんです。本社の社員は皆優秀で、バリバリ働いています。競技をやめて一緒に働くことになれば、とんでもない差が生まれる。最低限のビジネススキルを確保しておけば、こちらは社内でも有名ではあるので、そこで何とか補えるんじゃないかと。ビジネスでも負けたくないと思っています」

そう話していた衛藤も今季限りの引退を決めている。当初は2020年の東京五輪を競技人生のクライマックスにする予定だったが、五輪の延期で、衛藤のチャレンジも延長した。そのため30歳で最後のシーズンを迎えている。

面白いのが多くのアスリートとは逆のアプローチをしたことだ。2017年秋から2年間ほど行ってきたウエイトトレーニングを封印。かわりに体幹トレーニングを取り入れてきたことで、「ナチュラルな跳躍」ができるようになったという。それが結果にも表れている。

「ウエイトトレーニングをしていたときは、筋力発揮はあったんですけど、踏み切りをピンポイントで入らないと跳ぶことができなかったんです。いまは広い面でだいたいこの枠に入っていれば跳べるかなという感じになってきました。以前は卓球のラケットでテニスをしていた感じでしたけど、いまはテニスラケットでテニスをしているイメージに近いですね」

今季は5月3日の静岡国際を2年ぶりの自己タイとなる2m30で制すと、同9日のREADY STEADY TOKYOでも2m30をクリア。ラストシーズンで自己ベスト更新の手ごたえをつかんでいる。

両大会では屋内日本記録保持者の戸邉直人(JAL)も2m30を成功しているが、昨季までは複数の日本人選手が同一大会で2m30以上を跳んだことはなかった。日本選手権では東京五輪参加標準記録&屋外日本記録の高さである2m33の征服が十分に期待できそうだ。本格的なシーズンに入る前に取材したとき、自身のキャリアについては「まったく悔いはありません」と話していた衛藤だが、欲がないわけではない。

「昨(2020)年、真野友博選手(九電工)に自己ベストを抜かれたので、日本歴代5位以内の記録(2m31以上)は残して終わりたいという気持ちがあります。できれば東京五輪は決勝の舞台で戦ってみたいですね」

東京五輪の延期で人生が変わった者もいる。今年の日本選手権には、アスリートたちの5年分の思いが交錯する。東京五輪を目指す者すべてにドラマがあり、彼らを支える仲間もいる。すべてのアスリートたちが悔いのないチャレンジになることを祈りたい。

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