現役世代が孤立する要因

男性の生い立ちも聞くことができた。男性は、幼少期は音楽が大好きな内向的な少年だった。しかし父親は、ことの外厳しく男性をしつけた。試験の成績は常に上位であることが求められ、順位が下がると、「音楽なんか聴きやがって!」といつも怒鳴り散らしていたという。話を聞くと、男性は教育虐待を受けていた可能性がある。

男性は社会人になって一人暮らしを始めるが、失業してからは、妹以外とは連絡を絶つようになる。

男性は自分の窮状を、周囲に伝えたくなかったのだろう。部屋には心の隙間を埋めるかのように、CDや本が山積していった。

しかし、20年ぶりに会った妹さんにだけは、そんな自分の現状を伝えることができた。2人で生活を立て直そうと約束した矢先の死ということもあり、妹さんは、兄の死をとても悲しんでいた。

男性は孤独死したが、最後に辛うじて妹さんとつながることができただけ、幸せかもしれない。孤独死する人の多くが、孤立ゆえに最後まで誰ともつながることもなく、助けを求められずに、夏の暑さによって命を落としているからだ。

現役世代が孤立する要因の一つは、セーフティーネットの乏しさだ。高齢者は民生委員などによる地域の見守り体制があるが、現役世代にはそうした手当てがない。特に都会のマンションなどで生活していれば、その存在自体、見落とされやすくなる。

しかし一番の大きな要因は、命の危機があっても誰にも助けを求められないという日本人が抱える大きな闇である。特に働き盛りの現役世代の孤立が深刻なのは、職場での人間関係が大きなウエイトを占め、地域とのつながりが薄い。だから、一度会社などの組織から弾かれると一気に孤立してしまう。また、社会からは失業なども本人の力不足だとシビアにとらえられやすく、常に自分の力で何とかすることを求められる。そこから脱落したのは自分のせいだと感じ、声を上げることができない。

道を一人で歩く人の影
写真=iStock.com/AlexLinch
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孤独死の背景には過剰な自己責任論がある

日本の孤立研究の第一人者である早稲田大学の石田光規教授は、著書『孤立不安社会』(勁草書房)で、人びとが常日頃から発する「迷惑をかけたくない」という言葉に注目し、こう分析している。

「この言葉は、選択性を増し、自己決定の領域におかれた人間関係の暴力性を象徴している。(中略)その結果、人間関係の維持・構築は自己決定・自己選択の範疇はんちゅうに入れられ、生活の維持手段は関係性のなかではなく、資本主義システムのなかで努力を通じて獲得するものになる」
「そのような状況下での関係性への依存は、個々人の努力や怠慢を意味し、『甘え』や『他者への迷惑』というラベルを貼られる。かくして、人びとは『迷惑をかけたくない』という消極的理由により、人間関係の自発的撤退を強いられるようになる。『選択的関係』が主流化した社会では、自発性の皮をかぶらせて、関係を維持しうる資源をもたない人びとを巧妙に排除してゆく」

つまりこれだけ増え続ける孤独死の背景には、これまでの人生の岐路において、自ら選んだことだから、「自分が悪い」と自己責任を過剰に内面化させられるという社会的背景がある。私たちは、さまざまな人生の選択を自分から選んでいるように見える。しかし、実は親の社会的地位や学歴などといったものがコミュニケーションの能力や関係性の豊かさに好影響を与えていることからもわかるように、「持つべき者」が「多様な選択肢の中から望みのものを手に入れやすい」という現実がある。

結果として、経済的「資本」などさまざまな資源を持っていない者は、自然と人間関係を作ることが不利になり、孤立しやすくなる。しかし、「持たざる者」は、そんな人間関係からの撤退を、「自分で選んだこと」で、自己責任として甘んじて受け入れるように巧妙に仕向けられる。命の危機があるほどの状況に置かれても、他人に助けを求められない理由がここにある。