虐待を繰り返していたような親でも、子供であれば老後の面倒をみなければいけないのか。ノンフィクション作家の菅野久美子さんは「そんなことはない。老親を施設に預けたあと、家族の代わりに最期まで施設とのやり取りを代行してくれる業者もある。一人で苦しまないでほしい」という――。
施設の通路と車いすに乗った人の後ろ姿
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介護施設にいる母から「呪いの手紙」を送られてくる

「家族じまい」として親を捨てたい人たちがいる。

私もその一人。3歳から母親に強制的にピアノを習わされ、理不尽な暴力、ネグレクトに苦しめられてきた、今振り返れば「教育虐待」の当事者だった。

そのため、近著『家族遺棄社会』では、「家族じまい」と称されるような日本を取り巻く親子の現状について取材した。

取材を通じて最も深刻だと感じたのは、就職や進学、結婚などで一度は親から離れたと思ってもそれはつかの間の安息であるということだ。親に苦しめられた人は、介護から親の死までのラストランで、ふたたび地獄を見ることになる。介護施設や病院とのやり取り、葬儀や相続などの死後の手続き……。これも親子関係が悪いほど疲弊することになる。

他方で、核家族化が進む現代において、多くの子供は親とは同居していない。親と別居しているのに、親の介護が苦しい。なぜそんなことになってしまうのか。

『家族遺棄社会』の中で取材したAさん(50代・女性)は、まさにそのケースだった。Aさんは、母親の暴力や暴言、ネグレクトによって苦しめられた幼少期を過ごし、現在もその後遺症で摂食障害を患っている。

Aさんの母親は、現在秋田の介護施設に入所していて、関東在住のAさんとは物理的に距離も離れている。しかし、それでもAさんにとって、母親の存在はとてつもない重荷だった。Aさんのもとには毎月、介護施設の請求書と共に、母親の手紙や写真が送られてくる。Aさんは心の中で、「呪いの手紙」と呼んでいる。