職場結婚や紹介が当たり前だったが…

前出の劉さんと夫(故人)は、国営工場時代に所属する工場の隊長(責任者)が縁を取り持ち1970年代に結婚した。当時は、従業員の仲まで工場組織が取り持った時代だった。個人のプライバシーへの介入という意味ではうっとうしいものがあるが、結婚適齢期になる若者を放っておかなかったことが、出生率を高めるのかもしれない。町内の世話役や友人が相手を探して紹介する、そんな“おせっかい”も都市部においては過去のものだ。

日本が大好きという上海在住の陳さん(仮名・32歳)は自分の生年を「平成元年生まれです」と自己紹介してくれた。コロナ禍に見舞われるまでは年に3回、日本を一人旅するのが趣味だった。陳さんは大学院卒業後、外資系企業で勤務する「高学歴・高収入」のキャリアウーマンであり、「現在、付き合っている男性はいません」という点以外は、自分の生活に不満はないという。

陳さんは「上海は子育てにふさわしくない場所」だと断言する。「住宅価格も物価も高いので、当然、教育費も高額になる」(陳さん)からだ。

子を授かれば苦労の連鎖が産まれる

ひとたび子が生まれれば、「他人よりいい人生」を歩ませようと、熾烈しれつな子育て競争が始まるのが今の中国の現実だ。前出の魏さん(結婚9年目・42歳)が子どもを持たない選択をしたのは、そんな競争を恐れたからでもあった。

教育費の高額化は上海に限った話ではない。陝西省西安市には、年間の学費が10万元(160万円)という国際学校もある。自分の収入をはるかに上回る教育費を目の当たりにすれば、誰でも子どもを産むのが怖くなるだろう。

子を授かれば、親子ともども苦労の連鎖が始まるという競争社会の現実こそが、出産にブレーキをかける理由なのかもしれない。中国は先月、「第3子を容認する」としたが、このような政策は今更焼け石に水だろう。若者たちはもはや「マインド」が萎え、第3子どころか第1子すら持とうとしない。それがリアルな中国の姿なのだ。

米国も恐れた「家族の結束」は崩壊しつつある

ある日、筆者のスマートフォンに「深夜3時、ようやく宿題が終わった」とむせびなく小学校低学年のわが子を撮影した動画が届いた。親は子どもを不憫には思っていないようだ。中国は伝統的にエリート教育に対する信仰が強く、親も社会も「子どもは勉強して当たり前」という価値観を持っているからだ。

精神的にもタフな子どもたちは確かに「中国の競争力」となるべく、その歩兵として戦ってきた。だが、これから先は競争力ある子どもたちの数は激減する。前出の加々美光行教授はこう語る。