多くのものを背負わされすぎた
いつか溢れるのがわかっていながら、器に雨水がポタポタと溜まっていくのを見ている。やがて雨足が強くなり、表面張力で堪えるかのように思われたそれが一気にふちから流れ落ちていく。
大坂なおみがうつ病を理由として全仏オープン棄権を表明したとき、その心理が理解できたのだろう、日本のメディアはほとんどが「色々あったから、ゆっくり休んでほしいですね」と彼女に対して同情的な姿勢をとった。「私はシャイなんです」。2018年のUSオープンで優勝後、さまざまな媒体でインタビューされるたびにそう繰り返していた大坂なおみは、以来ほんの数年であまりにも多くのものを背負い、背負わされすぎてしまった。
そこへ至った要因はいくつかある。
アメリカのメディアでキャッチーな存在
日本とハイチ、アジア系とアフリカ系双方の流れを持つ彼女の“カラフルな”人種的バックグラウンドが、今この2020年代、特にアメリカのメディアにおいて非常にキャッチーで歓迎されるものであること。女性であり、男性ではないこと。何よりも、昨年コロナ禍の最中で起きたブラック・ライブズ・マター(BLM)運動に対して強い当事者意識を持ち、抗議の意味を込めて試合をボイコットしたり、亡くなった黒人被害者の名を書いた黒いマスクを身につけて試合に臨んだりするなど、自らの言動を通して意見を発信してきたこと。それらが彼女をヴォーグ誌の表紙に載せ、ナイキの広告に登場させ、やがて「世界規模の代理戦争の戦士」に祭り上げた(祭り上げてしまった)のだということを認めなかったら、私たちは誠実ではないだろう。
ラケット一本を持って対戦相手と一対一の熱戦を繰り広げる大坂なおみは、純粋なテニスプレイヤーであること以上に政治的、文化的アイコンとしての意味を纏わされ、彼女の闘う姿はさながらある種の剣闘士(グラディエーター)だったのである。