名前を変えたら見えてきた事実
何の変哲もない内容だが、ミソはXYの名前のところで、半分はユダヤ風の名前とし、残りの半分は典型的なドイツ風の名前とした。
その結果、ユダヤ風の名前に対しては、これはモラルを問われるべき行為、あるいは、非常にモラルを問われるべき行為であるという答えが34.8%で、ドイツ風の名前の場合は14.8%と、差が出た。
調査の精度を高めるため、ユダヤの名前の代わりに、英国やイタリアの名前を入れると、結果はドイツの名前と差がなかったという。
つまり、被験者はユダヤの名前に反応した可能性が高い。類似の研究は英国などでも行われており、やはり同様の結果だという。
これをドイツ人のユダヤ人に対する偏見と解釈すべきかどうかはさておくとして、ただ、ここでの問題は、ドイツ人の間では、たとえユダヤに対する偏見や反ユダヤの感情があったとしても、本人が一切気づいていない可能性が高いのではないかということだ。あるいは、気づいていても、理性で閾下に押し込めている可能性だ。
ユダヤ問題も難民問題も自由に語れない
ドイツ人は75年間、政治的にイスラエル擁護を貫いてきたし、その教育も徹底していた。だから現在も、アラブ系の人たちの暴発を見て、多くの人が心を痛め、イスラエル支援を掲げて立ち上がっている。
ただ一方で、ドイツ人の感情の中には、いわゆるパレスチナ難民の運命への同情も根強くあり、それどころか、軍事的に優位なイスラエルに対する反発さえ潜んでいるようにも感じる。つまり、イスラエルもパレスチナも多くの側面があるだけに、複雑なのだ。
ただ、今のドイツでは、ユダヤ問題はもとより、難民問題もなかなか自由には語れない。前者は政治的にタブーだし、後者に言及すると、すぐさま極右や国家主義者のレッテルを貼られる危険が大だ。しかも、ドイツ政界には今、反ユダヤ主義の台頭を封じ込めるため、罰則の強化を図ろうという動きが出ている。
せっかく75年間も掛かって築いてきた人道国家の評判を落としてはならぬと焦っているのはよく分かるが、罰則があれば、自由な議論までがこれまで以上に妨げられる可能性も出てくるのではないか。
本来ならこの問題の解決には、まずは新入りのアラブ系の人たちに、ドイツに留まりたければ反ユダヤ主義は許されないことを強く啓蒙し、さらには、国民全員に、過去の歴史やホロコーストなど、検証さえもタブーであった事柄についてのオープンな議論の場を設けることのほうが先決のような気がする。