ドイツではユダヤ人差別は問答無用で糾弾される。しかし、5月に開かれたイスラエルに抗議する合法デモが、ユダヤ排斥を叫ぶ違法デモに変わるということが起きた。在独作家の川口マーン惠美さんは「2015年以降、難民として中東から移り住んだ人々の中から新たな『反ユダヤ主義』が生まれていることも一因だ」と指摘する――。
ベルリン市内でパレスチナへの支援を訴えるデモ
写真=AFP/時事通信フォト
ベルリン市内でパレスチナへの支援を訴えるデモ=2021年5月15日、ドイツ・ベルリン

停戦前の戦場に駆けつけた独外相

5月20日、イスラエルとパレスチナの間でミサイルが飛び交っていた最中、ハイコ・マース独外相はイスラエルを訪問し、ミサイル攻撃で破壊されたばかりの瓦礫の中に立っていた。彼がイスラエル国民に伝えたかったのは、ドイツ人のイスラエルに対する強い連帯の情であり、それは、その後、テルアビブでネタニヤフ首相と交わした力強い握手によっても、しっかりと伝えられたはずだ。

マース外相は前々から、学生時代に強制収容所を見学したことがきっかけで政治家になろうと決心したと語っていた政治家であったから、イスラエル訪問は、まさにその信条の実践でもあったのだろう。外交においては、時にこういう象徴的な、危険をも顧みないで駆けつけたといったようなポーズが重要な意味を持つ。

同日、マース外相はイスラエルからさらにヨルダン川西岸に移動し、パレスチナ自治政府のアッバース大統領とも会談した。ただ、戦闘行為を働いているのはパレスチナ自治政府ではなく、ガザ地区のハマス、およびジハード(イスラム聖戦機構)といった、米国やEUからテロ組織に指定されているイスラム原理主義者の戦闘集団なので、結局、マース外相にできたのは、アッバース大統領と共に1日も早い休戦を願うことぐらいだった。

なお、具体的には、被害の大きいガザ地区への人道支援も申し出ている。

そして、これらの調停役的な行動の成果が実ったのか、あるいは、17日のバイデン米大統領とネタニヤフ大統領の電話会談が効いたのか、5月21日未明には停戦が発効した。6月2日現在も、停戦協定は守られている。

ベルリンの反イスラエルデモに異変が

一方、この頃、ドイツ国内では予想もしない事態が勃発していた。ガザ地区の重篤な被害に憤慨した在独アラブ系の人たちが、イスラエルに抗議するために起こした合法なデモが、あっという間にユダヤ排斥を叫ぶ暴動となってしまったのだ。

5月15日の土曜日、ベルリンではデモ隊(警察発表では3500人が参加)が暴徒化して警官隊と衝突。パレスチナの旗を掲げ、熱狂的に反イスラエル・反ユダヤを叫ぶアラブ系の人々の姿は唾棄すべきもので、日本人としては、ふと、2005年当時の中国の反日暴動を思い出した。

この日は最終的に93人の警官が負傷、60人が逮捕された。ドイツ人は、自国にこれほど多くの過激なアラブ人が潜んでいたことに驚きを隠せなかった。

さらに翌16日には、約1000人が400台の車に分乗し、ベルリン市内を隊列を組んでクラクションを鳴らしながら走り、その他の都市でも、イスラエルの国旗が焼かれたり、シナゴーグ(ユダヤ教会)やユダヤ関連の記念碑が毀損されたりと、ユダヤ攻撃が相次いだ。