有事対応を後押しするのは国民の態度振る舞いです
コロナ禍によって大変な苦痛を味わった人や人命を失った人が多くいるので、これを過剰にポジティブに扱うわけにはいきませんが、それでも日本の弱点をさらけ出し、次への対処方法を示唆してくれたことは、日本を強くするチャンスととらえなければなりません。
日本の弱点は「有事への対応ができないこと」。だからこそ、政治家も国民も有事に対応できるような制度の構築が必要だと強く自覚し、日経新聞の最近の世論調査によれば改憲の議論の必要があると答えた国民は76%にも上るということのようです。
日本は先の大戦で敗戦し、国民をどん底に突き落としました。その大反省の下に憲法によって軍事力を徹底して禁止・制限し、理想の平和国家、平和世界にまっしぐらとなったのです。この理想は否定されるものではないし、実現に向けて努力すべきものです。
しかし一気に理想の世界に到達するものではありません。ゴールに向かう途中には幾度も現実の壁にぶつかります。理想の平和国家、平和世界を実現するには、全世界の国々が同じ行動を一斉にとる必要がありますが、残念ながら現実はそうではありません。
ゆえに理想を実現するまでの過程において現実の壁に対応するためには現実の対応策が必要であり、それが有事に対する対応策なのです。
ところが日本は、日本単独によって理想の世界を実現できるという幻想を抱いたがゆえにこの有事への対応策というものを一切考えない国家になってしまいました。幻想的な理想だけを夢見る国家となってしまったのです。
有事を想定するということは、それは理想の平和国家、平和世界の一時的な否定になるからです。
日本は、頑ななまでに理想を追求する結果、現実から目を逸らしてしまうという最悪の態度に出てしまったのです。それでも米ソ冷戦中は、米ソの激しいつばぜり合いの中で、一種の均衡状態が創出され、日本国内はあたかも理想の平和が実現していたように錯覚できたのです。
しかし米ソ均衡状態が崩れ、中国やその他の国々が台頭し、世界秩序が不安定化する中、日本国内で夢見ることができた理想の平和というもののメッキがはがれ、国際社会における厳しい現実が突き付けられるようになりました。
理想の平和国家、平和世界が実現するまでは、どの国も有事に対する対応システムを持っておかなければならないという現実を突き付けられたのです。
このような有事への対応システムを持つことは、いわゆる軍事衝突の領域に限らず必要なことです。日本は戦後、ありとあらゆる領域において、有事に対応するシステムを構築することを怠ってしまった。そして今回のコロナ禍という有事において、国家のシステムが機能しないことが白日の下にさらされてしまったのです。