第2に、ピラミッドの形状は「脚の長い凧形」となる。正月にあげる凧の形で、上部に分厚く、下方にスリムな形状となる。5歳区分男女別にみれば、65年の最大勢力は80歳代前半の女性となる。これに80歳代後半の女性、60歳代後半の女性、同男性、70歳代後半の女性が続く。

第3に、「脚の長い凧形」ピラミッドは、その後も縮小再生産を続けていく。人口は減り続けるが、基本的な形状は変わらない。男女合計でみれば、最大勢力は「70歳代から80歳代前半」となる。その後時間の経過とともに、このなかから他界者が増えるが、すぐ下の層が繰り上がり、再び「70歳代から80歳代前半」が新たな最大勢力をつくる。

国立社会保障・人口問題研究所は、2115年までの100年間の将来人口推計を公表している。「脚の長い凧形」の形状は、2045年ごろにほぼ完成し、推計最終年である2115年も変わらない。その先どこまで続くかも分からない。合計特殊出生率が人口置換水準に戻るまでは、大なり小なり、この形状は変わらない。日本経済の将来ビジョンを描く際には、常にこの形状を前提に考えなければならない。

財政赤字が支える長寿

長寿は素晴らしい。識者の中には、「国の豊かさは平均寿命で測るべき」と主張する者さえいるぐらいだ。

しかし、長寿を手放しで喜ぶわけにはいかない。長寿の維持には、巨額の費用がかかる。生活費もかかるし、医療、介護の費用もかかる。医療や介護にかかる公的な支出を個人消費に加えれば、高齢層の消費はどの世代よりも多い。

ライフサイクルを考えれば、高齢層の消費が多いのは自然である。費用を自らの貯蓄の取り崩しや世代内での共助で賄う限りは、社会も安定して回っていく。しかし、現実はそうなっていない。年金、医療、介護のいずれをとっても、払い込んだ保険料では支出をカバーできず、不足分を国庫が補っている。

その財源は、税収や国債の発行だ。税収の約半分は法人税や所得税で、勤労世代中心に負担している。国債の発行は、将来世代の負担である。いまの長寿は、若い世代やまだ生まれていない世代に負担を転嫁して、成り立っているということだ。

90年代半ばが転機だった

政府も将来世代へのツケ回しを抑制するため、社会保障制度の改革を掲げる。だが、一向に追いつかない。

政府が毎年公表する「財政の中長期展望」は、高い成長シナリオを達成できれば、基礎的財政収支(プライマリーバランス)をゼロにできるとする。しかし、「展望」の描く高成長は滅多に実現せず、政府の借金は増え続けてきた。真の問題は、成長が実現しないことでなく、「高望み」の成長率を仮定しないかぎり財政収支の均衡を描けないことにある。

曇天の国会議事堂
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将来の世代にツケを回さないためには、社会保険料の払い込みと、保険給付のバランスを回復させる必要がある。そのためには、一人ひとりが長く働いて、給付を受ける側から保険料を納める側に回るほかない。