自分の仕事の本来の“目的”は何か

ドイツのプロのサッカーチームでプレーする日本人選手から、次のような話を聞いたことがあります。

隅田貫『ドイツではそんなに働かない』(KADOKAWA)
隅田貫『ドイツではそんなに働かない』(KADOKAWA)

「日本にいたときは、味方のことを考えてパスを出すことに重点が置かれていましたが、ドイツではパスはとにかく、相手(敵)の意表をついて、速く、そして『前へ!』ということを重視します。パスが出たあとは、担当ポジションの選手の仕事です」

私にも、「なるほど」と思い当たることがありました。

私は高校生時代に野球をやっていました。練習の最初は、キャッチボールです。その際に、「相手の胸をめがけて、相手が取りやすいところを狙ってボールを投げろ」と習いました。

もちろん野球の基本はキャッチボールであると今でも信じています。ただ、キャッチボール練習の目的が、「正しいフォームで狙ったところに投げるコントロールを養成すること」であるということをあまり深く認識せず、「相手の取りやすいところに投げること」に集中しがちであったように思います。

本来であれば、こうして基礎を養ったら、実戦においては「相手の取りやすいところに投げること」は決して優先順位の高いことではなくなります。

言ってみれば、ショートポジションの選手は打者のゴロを素早く、1塁手に投げることが目的であり、彼の取りやすいところに投げることが目的ではありません。乱暴に言ってしまえば、よほどの悪送球でもないかぎり、どんなことをしてでも捕球するのが1塁手の仕事です。

“忖度”は生産性に影響する

相手のことを慮ることはとても素晴らしいことです。特に日本人の美徳と言っても過言ではありません。ただ、昨今の“忖度”ではありませんが、行き過ぎた慮りは、往々にして目的を取り違え、行き過ぎた同調圧力につながり、個々人の士気やチームの生産性にも影響を与えてしまいます。そしてこれは、スポーツに限らず、ビジネスの世界でも同様のことが言えると思います。

私は、日本人は「協調」と「同調」を取り違えているのではないかと感じるときがあります。

大辞林』(第三版)によると、「協調」とは「力を合わせて事をなすこと、利害の対立するものが、力を合わせて事にあたること」。「同調」とは「調子が同じであること、ある人の意見や態度に賛成し、同じ行動をとること」という意味です。