「見たくない現実」が現実化

たとえば、原田さんは「新しいパラダイムの入り口」でオドオドしているわけだが、経営者から見れば、「え? 今頃、気がついたの? さんざん会社員という身分に安住するなって言ってきましたよね?」と怒るであろう。あるいは、会社で居場所を失っている人たちから見れば、「はいはい、あなたにもやがて魔の手が伸びてくるでしょうね」と笑い飛ばすかもしれない。

原田さんの集団とは、彼の言葉を借りれば「エリート集団」だ。

高学歴や高収入であったり、大手企業の社員、○○会社の部長などと「社会的地位の高いポジション」に属する人ほど、自分に都合の良いようにものごとを見がちだ。とくに、がんばってがんばってがむしゃらにがんばって競争に勝ち、エリートのポジションを手に入れた人ほど、「自分だけは大丈夫」と幻想を抱く。

「肩たたきされる上の世代のこともバカにしていました。過去の栄光で生きられるわけないだろうって」などというように、他人と自分を分けたがる傾向も強い。

さらに、人の心はきわめて複雑で、新しいパラダイムの入り口に立っても「見なかったこと」にしてしまったり、入り口に足を踏み入れても行き先を定められずに後ずさりしてしまったり、「もう、いいかな」と戦線離脱してしまったり。

変化を受け入れるには相当のエネルギーが必要なので、つい、本当につい、人間の弱さが出てしまうのである。

土下座で頭を砂に埋めるビジネスマン
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より不安定な「働かせ方」が当たり前に…

しかし、新型コロナという100年に一度のパンデミックは、時計の針を一気に進めた。今後生じる問題の多くは、私たちがすでに直面している問題の極端なバージョンと考えていい。つまり、世の中は大きく変わるのだ。もはや新しいパラダイムの入り口でたじろいでいる時間はない。

「会社員崩壊時代」──。「会社員」という枠組みは残る。だが、中身は私たちが知っている「会社員」ではない時代に、すでに突入しているのだ。

平成の30年間を経て、経営者と会社員の蜜月は完全に終わり(前回のコラム「『たとえ会社に捨てられても』幸せな人生を取り戻せる人だけが持つ“意外な能力”」参照)、今後はさらに、経営者と会社員の関係はドライになる。フリーランスやら業務委託やら、雇用義務を放棄できる「働き手」をどんどん増やし、平成で増えた非正規よりさらに不安定な「働かせ方」が当たり前になる。

会社員が瓦解している「ありのままの現実」を受け入れ、最初の一歩を踏み出す正しい“努力”が、今、求められている。