「できる部類」でも安全ではない

「エリート意識といってもいいかもしれません。自分はできる人の部類に入っていると思っていたんです──」

こう話すのは原田さん(仮名)46歳。就職氷河期の厳しい就活戦線を乗り越え、大企業に正社員として就職した男性である。

原田さんは「自分さえがんばれば、時代は関係ない」という確信のもと、数年前に課長に昇進した。ところが、コロナ禍で事態が急変し、社内の不穏な動きに戸惑っているという。

「先日、長年一緒にやってきた契約社員がいきなり契約を切られてしまいました。今までうちの会社ではありえなかったことで驚いていたら、国内だけでなく、海外の支店もいくつかクローズすることがバタバタと決まり、赴任が決まっていた同僚も取り消しになり、私もそろそろかなと期待していたポジションが空かない可能性が出てきてしまったんです。

どれもこれも突然のことで、驚いたというか、ショックというか。社内の景色が変わり、自分が思い描いていたキャリアパスとか、これまで積み上げてきた足場がことごとく壊れていくようで、なんかヤバイです。

私は就職氷河期を経験しているためか変な自信があって、仕事ができる/できないで人を判断していました。エリート意識といってもいいかもしれません。自分はできる人の部類に入っていると思っていましたし、肩たたきされる上の世代のこともバカにしていました。過去の栄光で生きられるわけないだろうって。

でも、今は、自分に魔の手が伸びてくるんじゃないかと、不安になる。その一方で、『自分には関係ない』と思う自分もいて。何をどうすればいいのか、さっぱりわからなくなってしまいました」

新しいパラダイム

人間とは実に勝手な生き物で、実際に“冷たい雨”に降られないと本当の冷たさがわからないという、やっかいなメカニズムが心に組み込まれている。

それでも人は、原田さんがそうだったように「自分に迫りくる不穏な空気」を感じ取るセンサーを持ち合わせ、この感度がいいほど、困難にうまく対処でき、幸せを手に入れることができる。

パラダイム──。そう、彼は「新しいパラダイムの入り口」に立っているのである。

一般的に「パラダイム paradigm」は、「ある時代や分野において支配的規範となる物の見方や捉え方」という意味で用いられる。

この言葉を一躍有名にしたは、科学者のトーマス・クーン。彼は『科学革命の構造(The structure of scientific revolutions)』(1962年刊)の中で、パラダイムを「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」と定義した。

一方、「パラダイム」という用語自体は古くから使われていて、アダム・スミスは「世界を説明し、世界の動きを予測するための、共有された一連の仮説」と定義。社会学ではロバート・K・マートンが、組織や社会構造に焦点を当て、そのメカニズムを解明する用語として使っている。

また、編集者で社会心理学者のマリリン・ファーガソンは、「パラダイムは思考の枠組み」と定義したうえで、古いパラダイムを捨てない限り、新しいパラダイムを受け入れることはできないとした。

このようにパラダイムにはさまざまな定義があるが、私の解釈では「ある集団のメンバーが共通して持つ、ものごとの見方、信念、価値」だ。つまり、まったく同じものごとを見ても、集団によって受け止め方が異なるのである。