「運を招くはずのパワーストーン屋さんが閉店していた」

大昔ビートたけしさんのツービート時代の漫才の中で、高校野球の監督が選手に向かって「負けてもいいから絶対に勝て」とアドバイスしたというのがありましたが、それに近い世界観とでもいうべきでしょうか。

考えてみたら世の中は矛盾だらけです。

「運を招くはずのパワーストーン屋さんが閉店していた」というのもその一例でしょう。パワーストーンの効果はどうだったのかと疑いたくなります。「紙ゴミを減らしましょう」というチラシにも矛盾を覚えます。「ベストセラーの作り方」というタイトルの本があまり売れていなかったこともありました。

店内でのクローズサイン
写真=iStock.com/claudiodivizia
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究極の矛盾は何かと思っていたら、古典落語の中に素晴らしい作品があったことに気づきました。

「粗忽長屋」という落語です。

あらすじは――そそっかしい人間ばかりが住む長屋の中で1、2を争うそそっかしい八五郎が浅草の観音様にお参りに行き、帰りに仁王門のところで行き倒れに出くわします。黒山の人だかりをかき分けて前に進み、役人たちから死体を確認するよう促されて見てみると、「こいつは友人の熊五郎だ」と言い放ちます。身元が判明したと役人たちは喜び、さらに熊五郎に身寄りがないとわかると、八五郎に「この死骸を預かってほしい」と訴えます。するとここから八五郎が信じられないことを言い出すのです。

曰く、「ここに死んだ当人を連れてきます」と。

矛盾こそがおかしさの真骨頂「粗忽長屋」

ここから話がまるでかみ合わなくなるのが、この落語の真骨頂です。

「今朝、熊公は体の具合が悪いといっていました」と八五郎は言うと、役人たちは「いや、じゃあ違うよ、この人はここで夕べから倒れているんだから」とこの死体が熊五郎ではないと否定します。が、八五郎は聞く耳を持たず、熊五郎本人を連れてくると言って長屋へと引き返します。

八五郎は、長屋に戻り、熊五郎に対し、「お前は浅草寺の近くで死んでしまったんだ」と主張します。熊五郎はというと、これまた信じられないほどそそっかしい奴で、「俺は死んだような気持ちはしない」と訴えるのですが、主観の強い八五郎が「この俺の言うことが信じられないのか。お前は粗忽者そこつものだから死んだことに気づいていないんだ」などと言いくるめられます。そして八五郎と一緒に自分の死体を引き取りに浅草寺に向かいます。

役人たちが強く「この死骸は熊五郎ではない!」と訴える中、「この死骸はお前だ」と八五郎は熊五郎に言います。最終的に、熊五郎は「この死骸は俺だ」と泣きながら抱き起こします。周囲の者たちはあまりのバカバカしさに呆れますが、しばし抱いている死骸の顔をしみじみ見ながら、熊五郎が「兄貴、だんだんわからなくなってきたぞ。抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」というオチを述べます。

今は亡きわが師匠立川談志の十八番とも言える爆笑落語でした。