死刑が冤罪であった場合、それは、国家による殺人ということになる。その場合の問題は、はかりしれないほど大きい。重大事件に裁判員として参加される方々も、この点は肝に銘じていただきたいと思う。

第二の点についても、対象事件全体につき、有罪については少なくとも3分の2以上の多数を必要とし、また、死刑の選択については全員一致を必要とするような法改正が必要ではないだろうか。

また、現行制度においても、「死刑の選択については、少数でも反対意見があれば徹底的に評議を尽くし、それでも反対意見が残りかつそれに一定の根拠があるときには、多数派が譲って死刑判決を回避する慣例を作ることが適切だ」という元刑事系裁判官の意見を聴いたことがあるが、私も賛成である。評価の分かれうる情況証拠が積み上げられているだけの事案では、ことにそういえる。

不確実な情況証拠の総合評価によって有罪判決を行うことは冤罪の原因になりやすいし、その意味で死刑は危険きわまりないからだ。

市民を本当に信頼しているのか

③ 第三に、裁判員に課せられている守秘義務の範囲が広すぎ、また、違反した場合の刑罰が重すぎる(懲役まで含まれる。前記法一〇八条)。守秘義務の対象は評議における意見の具体的な発言者氏名や個人のプライヴァシーに限定すべきであるし、制裁としての懲役刑は非常識きわまりない。

これについても、最高裁は守秘義務に関する説明の内容をあらためたというが、説明をあらためたといっても、その趣旨(条文の表現との関係)はあいまいだ。

瀬木比呂志『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)
瀬木比呂志『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)

私自身、裁判員裁判に参加した人物が、「どうしてきちんとした法改正をしないのか。どこまで話していいか不明で、大きな不安を感じる。それに、参加を呼びかけながら一方では懲役刑でおどすというのは、人を馬鹿にした話ではないか?」と語るのを聞いたことがある。

また、私を含め法律家は、実際には、裁判員裁判の過程やこれにまつわる裁判所の対応等についての疑問や不満を耳にすることがある。しかし、それを具体的に指摘することは実際上できない。「不可能」なのである。なぜなら、「この条文にふれる」といわれる可能性があるからだ。要するに、批判や議論を一切封じ込めてしまうための条文なのである。

④ 第四に、本当に市民を信頼し、6人の裁判員を招集するというなら、合議体にさらに3人もの裁判官が入る必要はない。判事1人、多くとも裁判官2人で1人は判事とすることで十分であろう(②とも関連するが、現在の合議体構成は、裁判官の割合が大きすぎる)。なお、この点についても、①と同様に、刑事系の存続・権益確保の意図が見え隠れする問題といえる。

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