「彼女がいると大変?」と聞くと驚きの答えが
彼は夜、仕事部屋に戻ってきては、よく自席で彫刻刀を器用に使って木彫りをしていた。「何をしているのか?」と聞くと、彼女へのプレゼントにするのだという。
彼はバツイチで、当時は独り者だった。「早く帰らないのか?」というと、「帰ると疲れるから、もう少しここにいます」。不躾だと思ったが、「彼女がいると大変か?」と聞いた。
彼は「大変ですよ。7人もいると日替わりで相手をしなくちゃならないから」というではないか。「そりゃ大変だ」というと、「また1人できそうなんです。そうなると1週間では回り切れない」と頭を垂れた。
そんなことから、もう少し突っ込んだ話をし始めた。「今はまだいいけど、クリスマスや正月休みになると、全部の彼女のところへプレゼントを持って行って、SEXしなくちゃならないから、死ぬ思いですよ」と、深いため息をついた。
彼にとって、会社にいる時間が安らぎの時間なのだという。その後、彼は再婚したが、日替わりで彼女巡りすることに疲れ果てたようだった。
剛力の彼氏のように唸るほどカネがあれば、女性は寄ってくるかもしれない。だが、カネのない奴がモテるためにはふんぞり返っていてはダメで、マメでなくてはいけない。
マメ男がすべて要注意ではないが、注意するに越したことはない。
最初にすべて知ってしまっても、人は結婚するだろうか
いま一つは、外国では広く行われているようだが、結婚前に1カ月間ぐらいマンションでも借りて「プレ結婚生活」をしてみたらどうか。
食事の好みからSEXの相性まで、暮らしてみなければ分からないことは多い。優しそうに見えた男にDV癖が潜んでいるかもしれない。
私の想像だが、この「プレ結婚生活」を終えても結婚するというカップルは意外に多くないのではないか。
なぜなら、結婚に踏み切るというのは、お互いの誤解と、一時の気の迷いと、弾みが必要だからだ。
したがって、結婚後に訪れるのは「後悔」と「失望」、それを乗り越えた先にあるのは「諦念」である。
福原愛の離婚騒動から話がだいぶそれてしまったが、赤の他人同士が一つ屋根の下で暮らしていくのに必要なものは、汚れちまった愛ではなく、諦めと、少々のおカネである。
ジャーナリスト長谷川如是閑のこの言葉で締めたい。
「男子は、結婚によって女子の賢を知り、女子は、結婚によって男子の愚を知る」(文中敬称略)