社員から選ばれた「リストラ執行人」の末路

おそらく誰もがそのことを肌で感じているはずなのに、人はものごとをあるがままに見るのが苦手です。

「心」は人の内部に宿るものですが、「心」は習慣で動かされている。習慣とは「日々過ごす環境で受け継がれた思考や行動のパターン」のこと。会社員を長年やっていると「会社員的なものごとの見方」をするようになるし、ヒラのときは「うちの会社はおかしい!」と息巻いていた人が、出世の階段を上るうちに教条的に「あれはあれで意味のあること」などと妄信するようになってしまったり。

人は「見えている」ものを見るのではなく、「見たいもの」を見るようになってしまうのです。

以前、50人の部下をリストラし、最後に人事部から渡された「リストラ・リスト」に自分の名前が載っていたという、いたたまれない話をしてくれた男性がいました。

彼は退職後、自分をまるで鉄砲玉のように使った会社に、一言文句でも言ってやろうと株主総会へ乗り込みました。すると驚いたことに、総会会場の入り口に「当時の人事部長が警備保障会社の制服姿で立っていた」というのです。

冷静に考えれば「リストラ請負人」に幸せな未来などあるはずがないのに、この男性も人事部長も「会社はきっと自分を評価してくれる」「会社は自分を必要としてくれる」と、会社の要求どおりに動いた。男性の会社員としての経験が、あるがままの姿を見えなくしてしまったのです。

会社の辞書に「社員の幸せ」はない

今、私たちに必要なのは、「私たちが途方もない変化の真っ只中にいる」という現実を受け止めることです。

会社はもう「社員の幸せ」などこれっぽっちも考えていないのです。「あなた」に役割を与え、その対価を払っているだけ。旧態依然とした幻想を捨て、「私が幸せになる」ように主体的に動き、自分が期待する人生を手に入れないことには、明るい未来はありません。

たとえどんなにすばらしい社会的成功を収めても、それが「何か」をしてくれるわけじゃないのです。

──再就職先は関連会社です。給料は下がりますが、気力と仕事の質には自信があったし、今までのキャリアを生かしてがんばろうと張り切っていました。ところが……半年後に出社拒否です。完全にメンタルをやられてしまったんです。

原因はいろいろありますが、やっぱり人間関係は大きいですね。上司とも周りの社員とも馬が合わなかった。前の会社のときは、周りも私のことをそれなりに扱ってくれました。ところが、再就職先では私はシニア社員の一人でしかない。飲み屋ひとつとっても扱いが変わります。そんなことはわかっていたのに、実際に経験すると、プライドが傷つくわけです。

私を引っ張ってくれた元上司が、いろいろと気にかけてくれるのも情けなくてね。結局、1年もたずに辞めてしまった。周りに迷惑をかけるからそれだけは避けたかったんですが、情けないですよね。

こう話す男性は、前職では常務でした。彼は「○○会社の常務だった私」なら、うまくいくと思い込んでいたのでしょう。しかし、現実は……ごらんのとおりです。

「これって要するに老害だろ?」そんなふうに思う方もいるかもしれませんが、若手であれ、いい大学を出ている人であれ、ヘッドハンティングされてきた人であれ、同じです。「主体的に動かなかった人」は残念な末路を辿たどるのです。