「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」

秋篠宮家をめぐる報道がバッシング方向に傾いたのは、悠仁さまの誕生がきっかけだった。「天皇家の次男の家に、皇室で41年ぶりの男子誕生」という喜ばしくも複雑な事態にメディアが目をつけた。すっかりヒール役を背負わされていた紀子さまに対し、佳子さまは「報じられている母は違う」と反論した。それだけでなく、「スマイルの絵の描かれた手紙」という根拠も示した。論理的で強い、それが佳子さまだと心に刻んだ。

2019年3月、国際基督教大学を卒業するにあたっても、佳子さまは強さを存分に示した。記者からの質問への文書回答で、眞子さまの結婚について「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と言い切った。さすが、佳子さま。

もう一つ、強さがにじんだ回答がある。質問は「結婚の時期や、理想の男性像についてどのようにお考えでしょうか。お相手はいらっしゃいますか」。回答を全文紹介する。

「結婚の時期については、遅過ぎずできれば良いと考えております。理想の男性像については、以前もお答えしていますが、一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております。相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」

ここで言う「以前」とは、2014年の会見のこと。「理想の男性のことは、前に答えました」と念を押した上で、「相手」についての質問は「今後も含め答えない」とした。これは佳子さまによる「プライバシーの権利宣言」。そうとらえたのは、佳子さまの伯母にあたる黒田清子さんの紀宮さま時代を知っているからだ。

天皇家のイメージではない「フィギュアスケート」「ダンス」

紀宮さまは36歳で結婚したが、成人して最初の記者会見以来、ずっと「結婚」について聞かれた。具体的な言及はせず、ユーモアに包んだ回答をし続けた紀宮さまだが、結婚報道が加熱した時には苦情をにじませた。

それでも質問は続き、紀宮さまは律儀に答えた。記者には「内親王の結婚は、国民の知るべき情報」という思いがあり、紀宮さまもそれを否定しきれなかった。昭和生まれの紀宮さまと、平成生まれの佳子さま。時代の差を勘案しても「宣言」はすごいことだし、強い人だと再認識した。

佳子さまが「次男の次女」であることが大きいと思う。伸び伸びと育てられた「次男」を父に、「天皇の初孫」である姉の次に生まれた。その「特権」を十分にいかし、「天皇家らしく」という束縛をあまり感じずに大人になっていったのだろう。そもそも学習院初等科2年生で始めたフィギュアスケートも天皇家のイメージではないスポーツだし、そこから「ダンス」を選ぶのは自然なことだったろう。

氷上のアイススケーター
写真=iStock.com/w-ings
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