広告代理店に勤める澤田智洋さんは8歳の一人息子を持つ父親だ。息子は生後3カ月で全盲の診断を受け、澤田さんの人生は大きく変わった。フリーライターの川内イオさんが取材した――。
コピーライターの澤田智洋さん
筆者撮影
コピーライターの澤田智洋さん

世界中のあらゆる神に祈った日

2013年4月某日、ある小児病院の診察室で、澤田智洋さんの顔色は真っ青を通り越して、真っ白になっていた。隣の妻は、目の前の医者に「どうか助けてください……」とうつむきながら声を絞り出していた。

その年の1月、広告代理店でコピーライターをしている澤田さんと妻の間に初めての子どもが生まれ、絵に描いたような幸せな日々を過ごしていた。3カ月ほどしたある日、息子の目が充血してきたため、近所の眼科に連れていった。その時に、「ここでは手に負えない」と紹介されたのが、都内で最も大きな小児病院だった。

いくつかの検査をした結果、左目が網膜ひだ、右目が網膜異形成という病気だとわかった。それぞれの詳しい説明は省くが、わかりやすく一言で表すなら、「全盲」という診断。この3カ月、長男の目にはなにも映っていなかったのだ。追い打ちをかけるように、医者が告げた。

「眼球の奥に異物があります。それが悪性腫瘍だとしたら、命の危険もあります」

それを聞いた瞬間、澤田さんはあまりのショックと恐怖に凍りついた。妻がどんな様子なのか、気にする余裕もなかった。「今すぐ検査が必要」という医者の説明にうなずき、手続きをする。

検査はその日のうちに行われたが、結果が出るまでに数時間かかる。無宗教で、普段、神の存在を意識することなく生きてきた澤田さんは、その数時間、世界中のあらゆる神に祈った。

「息子を、助けてください」

芸術的なまでの透明人間

澤田さんは1981年、銀行員の父親とアーティストの母親のもとに生まれた。転勤が多い父親の仕事の都合で、生後3カ月でフランスのパリへ。間もなくしてイギリスに移住し、1歳から小学校に入るまで、ロンドンで暮らす。小学1年生から5年生の途中まで日本に滞在した後、再びパリへ渡った。それから中学2年生まで続くパリ生活が、澤田さんの人生の分岐点となる。

小学校を卒業するまでパリの日本人学校に通った澤田さんは、「これじゃあ、日本にいる時と変わらない。外国に住む利点を活かせていない」と感じ、自らの意志で、中学からパリにあるイギリス人学校に移った。フランス人が通う現地校では、フランス語中心になる。現地のアメリカンスクールに行けば日本人もいて、必然的につるんでしまう。日本人のいない環境で英語をしっかり学ぼうと思って、自らイギリス人学校を選んだ。その学校に通う外国人は、澤田さんひとりだった。