トマトもトウモロコシもない荒れた実家の畑
ところが、何年かぶりに足を運んだわたしの目に飛び込んだのは、とても荒れ果てた畑だったのです。陽の光を浴びて輝くトマトも、瑞々しく実るトウモロコシもなく、広がっているのは荒廃した土地だけ。これでは大勢を招くお祭りどころではなく、知人ですら呼ぶことができません。実家は農業を辞めてしまっていたのです。
わたしのなかで、実家の畑は幼少期に見た風景のままで止まっていました。きちんと整地されていて、一年中作物が植えられている。近所の子どもたちが農業体験に来ては、採れたての野菜を味わい、美味しそうに笑ってくれる。それが自慢で、そんな畑を持っていることがなによりも誇りだったのに——。
たくさんの想い出が詰まっていた畑は、無残な姿になっていたのです。とてもショックでした。同時に胸のうちには、「どうして農業を辞めちゃったんだろう」という純粋な疑問が湧きました。「農業は儲からない」という母の言葉がよみがえってきます。でも、本当にそうなのだろうか。
全国の農家を訪ね歩いて話を聞いた
それを機に、わたしは全国のさまざまな農家さんを訪ね歩くことにしました。話を聞いてみると、みなさん口を揃えて「農業はなかなか儲からないから続けるのが難しい。子どもたちには継がせたくないんだよ」と言います。なかには「自分の代で終わりにしようと思っている。でも、代々引き継がれてきた種を途絶えさせるのは嫌なんだ」と悩みを口にする伝統野菜の農家さんもいました。
その言葉を聞いたとき、わたしは家族のことを思いました。母も祖母も、亡くなった祖父や父も、同じようなことを考えて葛藤していたのかもしれない。その苦しみを、わたしは1ミリでも想像したことがあっただろうか。なにも知らず東京に出てきて「やりたいことをやるんだ」と自分のことしか考えていなかった。
でも、目の前で畑をなくすかどうか悩んでいる農家さんたちを、決して他人事にしてはいけないとも思いました。わたしたちが日々口にしている作物を育ててくれている、一次産業に従事している人たちを、もっとサポートしなければいけない。「農業は儲からない」と諦める人たちがいるのであれば、わたしが少しでも彼らの仕事がうまくいくように貢献したい。そのためにも、この世界にフルコミットして、一生をかけてよくしていきたいという想いが胸を熱くしました。