発行体側である政府の側が、この「情報の非対称性」を利用しないとも限らない。例えばEUでは、環境対策の一環として省エネ公営住宅の建設が奨励されており、この政策の財源に環境債を充てることができる。これは本来ならば住宅政策であるが、これに環境という性格を加えることで環境対策として容認しており、グレーな側面がある。
コミットメントを強めざるを得ない日本
なおイタリアで3月初めに発行された環境債は、再生可能エネルギー由来の発電や生物多様性保護などのプロジェクトに投じられるほか、一部は既に投資したプロジェクトの借り換えに充てられるようだ。とはいえ償還は2045年と20余年も先、この間に本当に環境対策だけにこの環境債発行で得られた資金が充当されるか、定かでない。
それに欧州中銀(ECB)が金融緩和の一環として環境債の購入を優先していることにも、本来なら問題がある。環境対策は本来なら政府の領域であり中銀の領域ではないはずだというECB内での議論を押し切り、ラガルド総裁の強い意向でこの決定は下されている。十分な議論がないまま「なし崩し的」に事が運んだというのが実情だ。
とはいえ、どんな金融商品でも普及期には問題がつきものだ。SDGsがメガトレンドであることに加えて、中銀による強力な金融緩和も長期にわたって続かざるを得ないことも後押しとなって、環境債の発行そのものは着実に増えていく。そうして市場が成熟していくに伴い、環境債に伴う諸問題も徐々に解決されていくと期待される。
日本の債券市場は、その肥大な公的債務ゆえに世界有数の規模となっている。その一方で、少子高齢化の進展や低成長の定着で国内の貯蓄の減少が続いており、海外からマネーをどう引き寄せるかが戦略的な課題となって久しい。こうした流れの中で、日本もまた環境債の発行という流れにコミットメントを強めざるを得なくなっている。