なぜ優しい言葉をかけないのか
さて、このシーンでは、痴漢にあいそうになるという生徒の経験を、もうひとりの生徒は傷ついた経験とは認めていないのでしょうか。どうも、傷ついた経験と認めてはいるようです。ただし、この言い方は、「大変だったね」とか「大丈夫?」といった優しい言葉がけからはずいぶんと遠いもののようにも思えます。
このように、応答が素直な優しい言葉になっていないのには、ふたつの理由が考えられます。
まず、実際には痴漢にあっていないのだから、それほど傷ついていない、と聞き手側の生徒は判断しているから、という理由です。
でも、ここには問題があります。たしかに、痴漢にあうことと痴漢にあいそうになることは別のことです。ただし、別のことであることは、一方にくらべてもう一方の「傷」が浅いとか深いとかいったことを意味しません。特に、痴漢にあいそうになっただけだから傷は浅い、という考え方は、恐怖を感じることの痛みを軽視しています。
痴漢されることがこわくて電車に乗れない、方言やアクセントをからかわれるのがこわくてクラス内の会話に入れない、目が見えないのでいつだれにぶつかられるかと思うとこわくて外出できない、乗車拒否されると心が苦しくなるので車いすで出かけるのをためらう……これらは実際に十分に起こりうることと結びついた恐怖なのですから、単なる「思いすごし」などではないのです。
むしろ、このような恐怖を感じざるをえないこと、それ自体がひとつの傷であり、ある人が弱い立場に置かれてしまう、ということの意味なのです。