彼女は「総務省の常識」に従ったのだろう
彼女にとって、安倍晋三前首相と菅首相は「チャンスをくれる人」だった。今回のことで改めて「官邸による官僚支配」の問題点が浮き彫りにされた。が、彼女個人に目をやれば、2人がもたらした「プロジェクト」でチャレンジし、結果を出しただけとも言えるだろう。
私を複雑な気持ちにさせるのは、山田さんに「過剰適応」を見ることだ。菅首相の長男が所属する、東北新社という利害関係先との会食。届けもせず、代金も支払わず。予算委員会で山田さんは「気の緩み」と反省を語った。
思うに彼女は「総務省の常識」に従ったのだと思う。「首相の息子が出席するのだ、断れない」なのか「行っておいて損はない」なのか「行かなきゃ損」なのか、それはわからない。おそらく何かしらの常識に従った。かなりの高級店とわかっているのに「ま、いいか」と支払わない。そんなことができるのも、それが「常識」と思っていたからだろう。
「王様は裸だ」と言えるはずの立場だったのに
マイノリティーの強みとは、「王様は裸だ」と言えることだ。接待されていい相手ですか? お金払わなくていいですか? 「王様」に対しても、そう言える。ホモソーシャル社会で、女性はその役割を果たせる。それが行き詰まった社会を変える唯一の手段。そんなふうにさえ、思っている。
山田さんは、マイノリティーではなくマジョリティーの論理に適応してしまった。だから抜擢されるのか、抜擢されるからさらに適応するのか。男社会に地図を描き、ぐんぐん歩いた人なのに、それがすごく残念だ。
彼女の辞任が、せめて気の緩みきった菅政権への特大級の警鐘となってほしい。同学年として今、思っていることだ。