「あなたの選択をリスペクトします」という配慮が大切

私の書いた本は私の価値観で書かれていますが、それを「あなたも同じようにしなさい」と人に押しつけたくはありません。だから本の中では「何が正しいかはわからないけれども、私はこうする」という言い方をしています。

——「私はこうする」という言い方はすごくいいと思います。ただし、いつの間にか、「みんなでそうしよう」にすり替わっている人が目立ちます。

【山口】そうですね。めんどうでもすべての人が「私はこうする」ときちんと言って、かつ、それを人には押しつけずに「あなたの選択をリスペクトします」と配慮しつづけないと。

結婚についても同じことだと思うんです。「早く結婚しろ」とアドバイスするのは自由だし、そう言われてその通り結婚するのも自由、しないのも自由です。多様性を尊重すべきだというのであれば、他人の選択に対してつべこべ言うべきではなく、「それぞれが自らの選択に満足していれば、それが一番」と言うしかないでしょう。

そういう人が増えることで、社会は分断から遠くなっていくと思います。

二択を迫られたときは選んだ自分を問い続けることが重要

——いま世界中で二極化が進んでいて、「おまえはどちらにつくんだ」と問いただされるのが避けられなくなってきています。

【山口】おっしゃる通り、アメリカに続いて日本もいま、そうした方向に進みつつあると思います。

最近の例で言えば、女性蔑視発言で森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委会長を辞任しました。このとき少しでも彼の発言を好意的に解釈したり、会長辞任の過程への疑問を口にした人は、「擁護するのか」と叩かれました。私は同調圧力が嫌いなので、細部を無視して「擁護するのか、批判するのか」という単純な二択を突きつける社会になっていくのは、何よりも嫌です。

たったひとつの「正しさ」を振りかざして、それに合わないものを全部断罪していく。そういう社会の息苦しさは、中学校の教室で私が感じた、移動教室もトイレすらみんなで一緒という圧迫感と変わりません。

二択に単純化された世界で一度どちらかに舵を切ると、それをした自分を肯定するために、次も同じ選択をしなければいけなくなるということがあります。それによって主義主張がどんどん増強され、社会が分断されていくわけです。

もちろん投票など二択の選択肢しかないこともあります。その場合はどちらを選択したにせよ、その選択をしたことの意味を自分に問い続けるべきでしょう。