ペリエを飲もうとしたらポン酢だった
僕は、どんどん未知の世界にのめり込んでいきました。意外だったのが、会う人会う人から「おもしろい」エピソードが出てくるんです。
たとえば、ある視覚障害者の話。「パリ市民みたいに、テラスでペリエ(炭酸水)でも飲もうかと思って、カッコつけて飲んでいたんです。でも味に違和感があって。そしたら妻が一言『なんでポン酢飲んでるの?』って」。ボトルの形状が似ていたんですね。
はたまた、義足をつけている方の話。
「自転車に乗っていたら、車とぶつかりそうになって転んだんです。幸いケガはなかったんだけど、義足がポーンと外れちゃって。そうしたら車の運転手さんが『ぎゃー! 足が取れた!』って驚いて。『や、大丈夫っすよ』ってその場で足をキュッとつけるとまた『ぎゃー!』」。
とにかく、これまでまったく聞いたことのなかった話がどんどん飛び出してきます。
そして、「おもしろい」だけではありませんでした。彼らの暮らしや生き方そのものが、発見に満ちている。困難の乗り越え方、自分との付き合い方、人生の捉え方、幸せや豊かさの定義。それぞれの考え方が、本当に勉強になりました。
どうしてこれまで関わってこなかったんだろう? 悔しさすら込み上げてきたほど、目の前には「新大陸」が無限に広がっていました。
からっぽになっていた僕は、ゴクゴクと水を飲み干すように、新しい発見や驚きで満たされていきました。それはまさに、「アンラーン(Unlearn)」学びなおしの機会だったのかもしれません。
障害から生まれる逆転劇もある
アンラーンを続ける日々の中で迷子になっていたその先に、光を照らしてくれる話を聞きました。「片手で使えるライター」と「曲がるストロー」は、「障害のある人と共に発明された」という話です。
どれも諸説はあるようなんですが、ライターは「マッチで火をおこすには両手が必要だから、片腕の人でも火をおこせるようにしよう」というアイデアから、今の形になった。曲がるストローは、「寝たきりの人が手を使わずに、自力で飲み物を飲めるようにするため」に。最近ではiPhoneやセブン銀行のATMもそうだった、という話も知りました。
息子に障害があると知ったとき、絶望的な気持ちになりました。それは、「障害がある=かわいそう」という擦りこみが、僕の中にあったからです。けれども、「待てよ」と、心の中でつぶやきました。「片腕しかない。マッチの火を起こせない。絶体絶命だ。でも、気づいたら仲間が現れて、ライターという超発明が生まれた。なんて鮮やかな逆転劇なんだ!!!」って。