国軍vsデモ隊は衝突スレスレの状況が続く

筆者が調べたところでは、クーデターから10日以上がたったいま、国軍による市民への締めつけはさらに厳しくなっている。

ミャンマーの最大都市で多くの日本人ビジネスマンが住むヤンゴンでは9日までに、「夜間外出禁止令」と「5人以上の集会を禁止する命令」が出された。市民はこうした「お触れ」にもめげず、数千、数万もの人々が「反軍政デモ」を実施。街頭に出て国軍による独裁とスーチー氏ら拘束されている人々の解放を求めているが、いつ大きな衝突が起こるとも限らないスレスレの状況にある。

「反軍政デモ」に出ている人々の数はもはや「付近に住む住民のほぼ全て(ヤンゴン在住の日本人)」。現地から送られてきた写真を見ると、道路が人波で覆われているのが分かる。

拘束期限に合わせてネット回線を遮断

ナインさんは、これほどまでに国軍が嫌われている理由について「国軍は国民の意思を無視してクーデターに突き進んだこと、そして国民の人権と発言の自由を犯しているのが明らかだから」と語る。

クーデター発生から最初の週末にかけては、日々の生活そのものに大きな影響は出ていなかった。インターネットの長時間遮断が行われ、外部との通信が途絶する一幕もあったが、その後回線は復旧し、現地在住の日本人ビジネスマンらが書き込むツイッターの発言やブログも問題なく読める状態だった。

ところがアウンサンスーチー氏の拘束期限を迎えた15日、国軍は再びネットを遮断するとともに、拘束を17日まで延長した。市街地に装甲車などを展開させ、締めつけを強めている。

市中にあるスーパーなどの物資供給は、「米の買いつけに走った人が多かった(現地在住10年超の日本人男性)」という状況も一時見られたが、総じて生活必需品や生鮮品などの欠品は生じていない。ただ今後、国軍が緊急事態宣言を盾に輸送網の寸断を図る可能性もある。

「国のために自分の人生を捧げている女性」

ミャンマーの政治史は、アウンサンスーチー氏の動静と共にあったといっても過言ではない。

アウンサンスーチー氏は、第2次世界大戦中の1945年、日本軍と共にミャンマーの独立に尽力したアウンサン将軍の長女として生まれる。

1990年に行われた総選挙では、アウンサンスーチー氏が率いるNLDが大勝した。しかし、軍政側は「民主化より国の安全を優先」として権力の移譲を拒否。選挙結果を受け入れない軍政に立ち向かったが、これに反発した軍部がアウンサンスーチー氏を軟禁し、2010年にようやく解放された。アウンサンスーチー氏は20年間におよぶ軟禁生活の間、1991年にノーベル平和賞を受賞している。