通商協定に合意したといっても、イギリス議会や欧州議会で協定の内容が吟味されて法制化されるのはこれから。これがスムーズに運ぶ保証はないし、市民生活への影響次第でどんな事態になるか先行きは不透明だ。それでも約4年の離脱プロセスを経て、イギリスが半世紀近くに及ぶEU加盟国の歴史に幕を閉じた事実は重い。

人類史上かつてない壮大な社会実験

EUという広域共同体は、国民国家150年の歴史を乗り越えるための、人類史上かつてない壮大な社会実験だと私は思っている。

民族も宗教も言語も文化も異なる大小の国々が国境を接している欧州では長らく戦争が繰り返され、2度の世界大戦を経て非常に疲弊した。共同体設立の背景には同じ悲劇を繰り返すまいという反省と決意プラス、国がバラバラでは覇権国となったアメリカや台頭著しい日本(当時)との経済的な競争に勝てないという強い危機感があった。

欧州統合に向けた最初の共同体は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)で、同じ1950年代には欧州原子力共同体(Euratom)と、経済統合を目的とした欧州経済共同体(EEC)も発足した。ESCSに参加したのはフランスとドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国で、イギリスは当初の共同体構想には入っていなかった。イギリスの根っこにはアメリカとの関係を強化したほうが得策という発想があって、都合がいいときは接近しつつも、ヨーロッパ大陸とは常に距離を置いてきたのだ。

イギリスがデンマーク、アイルランドとともに欧州共同体(EC。ECSC、Euratom、EECの共同体)に加わったのは73年のこと。これを契機にECの加盟国は拡大し、ベルリンの壁崩壊によるドイツ統一、ソ連・東欧ブロックの崩壊を経て、93年に欧州連合創設を定めたマーストリヒト条約が発効して、EUは発足する。

当時、私はマッキンゼーにいて、ヨーロッパ企業のトップや政治家が集まったシュトルベルクでの勉強会(ドイツ銀行会長とバーデン・ヴュルテンベルク州の州首相主催)に毎年参画していた。いわばインサイダー(内部関係者)の立場で、彼らが苦労しながら統合に向かう様を見てきたのだ。当時は「このままではアメリカや日本にやられ放題で、ヨーロッパは歴史博物館になるしかない」という悲壮感に満ちていた。勉強会にはイギリス企業も何社か参加していたが、ほとんどオブザーバー(傍聴者)のような存在感しかなかった。