再手術もしたが聴力は戻らなかった

30代から40代にかけて、デジタルの立ち上げをやった頃が、自分ではいちばん苦しみ、かつ成長した時期です。私は、リーダーとして必死になってチームを追い込んで開発を進めていきました。

登山も私の趣味の1つですが、全く新しい商品を開発するのはチームでエベレストに登山するのと同じなのです。

山登りをしているかぎり、リーダーはパーティを生きて帰さなければなりません。つまり、開発に失敗するわけにはいかない。メンバーが、泣こうがわめこうが、ゴール到達を果たさなければならないのです。

あまりにも激しいリーダーシップのせいか、この時期、開発の中軸だった社員が2人、会社を辞めてしまいました。ショックでした。ずっとコンタクトを続けて、1人は3年後ぐらいには呼び戻せたのですが、もう1人は戻ってきませんでした。その頃になってようやく、随分昔に言われた家内の言葉を思い返したり、藤本さんの教えを改めて噛みしめたりしたものです。

無理を重ねる働き方を続けていたせいか、私自身の人生にも大きな変化が生じました。2000年になるちょっと前のことです。複写機開発の最先端を引っ張っている時期、右の耳が突発性難聴になって急に聞こえなくなってしまったのです。後に再手術もしましたが、聴力は戻ってきませんでした。

部下には同じような体験をさせてはいけない。つくづく、そう思います。以後、残業しなくてもちゃんといい商品ができるように、プロジェクトマネジメントをどんどん改善しています。

いまはNHKの「プロジェクトX」に登場したような開発の仕方とは時代が違います。

たとえば複写機の場合、一機種の開発のために500~600人という多くのエンジニアが必要となってきます。各自が自分の担当を受け持ち、同時に働いています。それだけ製品が複雑になり専門性が高くなっているのです。

これらの人材を通し、リコーはいま、ハードだけの会社から、そのうえに乗っていろいろなサービスをお客様に提供する、つまりソフトウエアをお渡しする会社になりたいと思っています。ソリューションまで提供できる会社……。

ソリューションと言い始めると、1つの産業にとっては、歩みが一回りしたと思っていい。コンピュータの世界では1つの階段を上りきったということです。次にどんな進化を遂げるのか、私はとても楽しみにしています。

(小山唯史=構成 芳地博之=撮影)