11月10日、最後のマウンド、現役最後の1球
やがて、11月10日、甲子園で行なわれた巨人との最終戦が、僕の最後のマウンドになった。
僕がマウンドに立ったのは、9回表の1イニングである。
ひとり目は、代打の坂本勇人選手だった。その1球目、148キロが出た。いける、と思った。三振には打ち取ったが、あと2キロが出なかった。
ふたり目は中島宏之選手が代打に立った。1球目、149キロが出た。こんどこそいけると思ったが、やはり届かない。4球目、僕は渾身の力をボールに込めようとして振りかぶって投げた。だが、147キロしか出なかった。中島選手も三振に倒れたが、あと1キロ届かなかった。
最後の打者となったのは、重信慎之介選手だった。その初球、僕は再び振りかぶって投げたが、やはり150キロは出なかった。そして、2球目で内野フライに打ち取って、僕のプロ野球選手としての人生は終わった。
その日、投げたボールは12球である。最速は149キロだった。僕のひそかな企みは、こうして失敗に終わった。僕らしい、といえば、いかにも僕らしい。
「僕のラストピッチは矢野さんに」
これまで、何球くらい受けてもらっただろうか──。
巨人との試合のあと行なわれた僕の引退セレモニーで、マウンドに立ってキャッチャーの矢野耀大さんに向き合ったとき、ふとそんなことを思った。22年間の現役生活で、最も多くのボールを受けてくれたのが矢野さんだったことは、間違いなかった。
当初、現役の監督である矢野さんから花束をいただくだけだった引退セレモニーの変更をお願いしたのは、僕である。無理を承知で、花束をいただく前に、僕のラストピッチングを設定してもらった。
現役最後のボールは矢野さんに捕ってもらおうと決めていたのである。そうしなければ、僕は死ぬまで後悔し続けるかもしれない。そう思うだけの理由があった。