父の代わりの王選手の記録を抜くことを夢見た克則少年

小学2年生になった克則は、こんな作文を書いた。

おとうさんとおかあさんのゆめは、ぼくが、ピッチャーマウンドにたってなげるんです。おとうさんのゆめは、ぼくが、おおせんしゅのホームランをぬくゆめです。ぼくは、ゆうしょうカップがもらいたい。ぼくは、野球がやりたいし、ピッチャーマウンドにたっておもいきりなげたい。ぼくは、いまリトルリーグにはいって、ピッチャーもやっている。

面白いのは「野球」だけ漢字で書かれていることだ。特に漢字の勉強に熱心だったわけではないので、他の漢字は書けないのに、「野球」だけは自然に覚えたのだろう。この頃、彼とはこんなやり取りも交わしている。

「パパは甲子園に出たことはあるの?」
「いや、ないよ」
「どうしてパパは甲子園に出られなかったの?」
「パパの高校はあんまり強くなかったからね」
「甲子園に出たかった?」
「もちろん出たかったよ。甲子園に出られたら一生の思い出になるからね」

プロ野球の選手の中には、高校時代に甲子園出場経験のある者と、そうでない者との間に明確な違いがある。毎年、春と夏の高校野球のシーズンが訪れると、甲子園出場経験のある者はにわかに活気づき、出場経験のない者は何となく肩身の狭い思いをするのだ。

やっぱり父は弱い

さて、このやり取りは、以下のように続く。小学校入学直後、克則の成績は「ABC三段階」で、ほとんどが「C」だった。しかし、2年生になる頃には、少しずつ「B」が増え始めていた。そこで、私はつい嬉しくなって、「勉強を頑張っているから、ごほうびに腕時計を買ってやろうか」と言ってしまった。

野村克也『弱い男』(星海社新書)
野村克也『弱い男』(星海社新書)

内心では「さすがに小学2年生で腕時計は早すぎるかな?」という思いもあった。すぐに「なんてことを口走ってしまったのか」と後悔したものの、克則はすでに大喜び。仕方なく私は「条件」を出すことにした。

「お小遣いを貯金して5000円貯まったら、足りない分をパパが出してあげる」

こうすれば、貯金の習慣も身につくし、お金のありがたさも理解できるし、何よりも算数の勉強に役に立つ。そんな大義名分を自分に与えることで、私は克則との約束を正当化しようとしたのだった。それ以降、克則は一生懸命貯金に励んだ。

そして半年が経過した頃、ついに目標額の5000円が貯まった。すると克則は言った。「せっかく貯めたんだから、もっともっと貯めたい。このお金はこのままにしておいてもいいでしょう?」私は内心ではホッとしていた。ところが、そうは問屋が卸さなかった。

「貯金は続けたいけど、腕時計もほしいな。お願いだから、買ってよ!」

こうなると、父親というのは弱いものだ。彼に言われるがままに、私は全額払って新品の腕時計を買う羽目になった。小学校低学年の子どもにはまだ早かったかなという思いもあったが、喜ぶ克則の姿を見ていると、そんな迷いもすぐになくなってしまった。やっぱり、父は弱い――。そんなことを痛感しつつも、その後も何度も同じことが繰り返されることとなった。

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