「恐竜の生き残り」にかんする原住民の情報

そして、こうした未知の生きものを発見するのに欠かせないのが、捕獲隊に原住民がもたらしてくれる情報であった。それが誇張であったり、ウソだったりすることもあるかもしれないが、よく吟味すると新発見につながることも珍しくないという。そんな彼が重視した情報のひとつが、恐竜の生き残りにかんするものだった。彼の自伝『動物とひと』(1908、初版)には、つぎのような文章がある(少し長いので、読みやすくするようところどころに改行を入れた)。

ナイル川の日の出
写真=iStock.com/Colin Thompson
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しばしば、土着の人びとの芸術生活に由来する、原始的な伝承が知られざる動物種の存在を示すことがある。
たとえば2、3年前、わたしはまったく異なる情報源から、ローデシア(アフリカ南部)の奥地の岩や洞窟にある、そのような絵画について報告を受けた。そのひとつはわたしの派遣員から、もうひとつは大物の野獣を狙って狩りにいっていた、あるイギリスの高官からもたらされた。前者は南西から、後者は北東から大陸内部へと進んだ。
奇妙なことに、ふたりの報告は、原住民がある怪物の存在を語ったという点で一致していた。それは半分ゾウ、半分ドラゴンで、到達不能の沼にいるという。そういえば数十年前、優秀な派遣員メンゲス氏が、似たような伝説的な生物について報告していた。彼は1871年に、ゴードン=パシャとともに白ナイル(ナイル川上流)を探検したことがあったのだ。また、原住民が洞窟の壁に描いたこの生きものの絵は、アフリカの奥地に存在する。わたしが知るかぎり、ブロントサウルスの一種がかかわっているとしか思えない。
これらの報告は、かくも異なった筋からもたらされたにもかかわらず一致していたから、この生物はいまもなお存在しているに違いないとほぼ確信するにいたった。わたしはかなりの額を費やして、かの地へ探検隊を送りこんだが、彼らはなすところなく帰ってくるしかなかった。到達困難な、数百キロにわたり全方位に広がっている沼地において、派遣員が重度の高熱に襲われたからである。そのうえかの地にはとても陰険な原住民がいて、何度も襲ってきて前進を阻んだ。
だがわたしは、この生物が存在するという証拠をわれらの動物学にもたらすことをあきらめていない。そうすれば、さらなる発見のきっかけにもなるだろう。とうのむかしに絶滅したと考えられていた動物が、いまも生存することを人びとが確信したら、そのほかの、未知のままでいる種の探索にはずみがつくことだろう。

正真正銘の「ジュラシック・パーク」になりえた

「2、3年前……」という記述から、ハーゲンベックが少なくともこの本を出す直前まで恐竜を探していたことがわかる。望みを達成していたら、ハーゲンベック動物園は大がかりなパノラマ展示をした動物園としてではなく、正真正銘の「ジュラシック・パーク」として世界に名をとどろかせたに違いない。

彼の告白は、驚きをもって受けとめられた。「スフィア」紙(1910年1月8日、図版1)によると、現地のローデシア博物館の科学者はすぐに、現住民からそんな動物にかんする報告など受けたことはないと述べた。だがしばらくすると、それをみたという原住民がふたりあらわれる。彼らによれば、その生きものはワニの頭と尾に、サイの角、ヘビの首、カバの胴体がついた姿をしていた(ただし、水中を前進するためのヒレがあったという)。

ワニの頭とサイの角、ヘビの首、カバの胴体がついた生物の絵
図版1:ハーゲンベック恐竜探検隊にかんする、「スフィア」紙(1910年1月8日)の記事('A Strange Story of a Giant Reptile.'Sphere.8 January 1910,35.)出所=『動物園・その歴史と冒険