市場経済を導入しつつ一党独裁を維持

鄧小平は、経済を発展させるために人民に「金もうけの自由」を認めました。アメリカや日本の資本を中国国内に呼び込むことにしたのです。「これから中国は変わります。市場開放します。どんどん投資してください」。

こうして中国はグローバリズムを受け入れました。すべては経済発展のためです。

ただし、これは外向きのメッセージで、内向きには一党独裁を維持しました。つまり、人民は「金儲けの自由」を享受しましたが、「政治批判の自由」は与えられなかったのです。一党独裁下の市場経済――これが鄧小平という指導者の賢さです。

土地も国有のままで、企業は共産党の認可を受けて国有地の使用権を認められ、ビルや工場を建設します。この許認可を得るため企業は共産党幹部にワイロを送り、政治腐敗が深刻になりました。貧しい者の味方だったはずの共産党幹部が豪邸に住み、ベンツに乗るようになったのです。共産党独裁のもとではこれを批判する野党が存在せず、マスメディアもすべて国営ですから、共産党政権に都合の悪い報道はしません。

こうして、中国共産党の腐敗は際限なく広がっていったのです。腐敗を正すためには言論の自由が必要ですが、言論の自由を認めると、一党独裁が維持できません。

天安門事件後9年で対中投資を再開

この矛盾が爆発したのが1989年の天安門事件でした。鄧小平は、言論の自由を求める民衆を戦車で踏み潰すことで、独裁強化に大きく舵を切ったのです。

天安門事件は西側諸国から非難と制裁を招き、中国共産党は危機を迎えました。しかし、グローバリストたちは中国市場への回帰を強く望み、これに押される形で民主党のクリントン大統領が1998年に訪中。天安門事件はまるでなかったかのように、対中投資が再開されました。

「人権よりも金儲け」──これがグローバリストの本質です。その本質を見抜いていた鄧小平は、勝利したのです。