なぜ異常に気づけなかったのか

当時の経営目標は「生産台数で世界一になること」。経営陣が明言したわけではない。しかし、策定されていた「グローバルマスタープラン」は拡大偏重主義だった。(赤字の年に社長になった豊田章男はすぐにそのプランを破棄している)

現場では「1000万台を達成する」ために車を増産し、ヤードには車があふれ、完成車を積み込む自動車専用船の手当てに悩む状態だった。

そんな状態だったのに、誰も「止めろ」と言わなかった。

トヨタ生産方式の原則のひとつが異常の顕在化である。ヤードがあふれているのは異常だ。生産現場は自主的にラインを止めなくてはならなかったはずだ。ところが止められなかった。

新車の列
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リーマンショック時のトヨタはトヨタ生産方式を忘れていた。異常を見る目を持っていなかったし、顕在化する決断もできなかった。

全社員が世界一の生産台数という目標に走っていたため、現実よりも目標数字を見ていたのである。

まさしく危機だった。では、彼らはどうやって危機へ対処し、それを乗り越えたのか。

震災危機を経験した男の焦り

「リーマンショックの前まで、現場はイケイケどんどんだった。危機感がなかった。危機感がなかったから、危機管理なんて考えていなかった。だから、僕はリーマンショックの時の教訓はちゃんと残しておかなきゃならないと思っている。耳に痛い話を語るのが僕の仕事だから。

リーマンショックの前の危機といえば阪神大震災でしょう。震災のあった1995年からリーマンショックまでは10年以上も時間が空いていたから、危機を知らない社員が増えていた。それもまた問題だった」

当時、河合満は61歳。理事兼本社工場の工場長だった。

とにかく売り上げは伸びる一方だったから、多少、利益率が悪くなってもそれを指摘する人間はいなかった。また、河合が会議で指摘しても、その声はかき消された。

河合は言う。

「急成長している時に、危機の種は蒔かれていたんだ。そして、赤字になって、みんなパニックになった。対処といえばとにかく出金でがねを抑えること、それと止められるラインを止めることだった。

業績は急回復した。だが、黒字になったからといって、それが危機管理に成功したわけではない」