新型コロナウイルスの影響で自動車業界は危機にある。だが、トヨタ自動車だけは直近四半期決算で黒字を計上した。なぜトヨタは何があってもびくともしないのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉氏の連載「トヨタの危機管理」。第15回は「リーマンショックの悪夢」――。

※本稿は、野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

記者会見する日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)
写真=読売新聞/アフロ
記者会見する日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長、左)(東京都・港区)=2020年3月19日

創業期以来の赤字を出したリーマンショック

トヨタの危機管理が本格的に始まったのは1995年の阪神大震災だった。その次に訪れた危機は災害ではなく、景気後退による需要の急減で、2008年のリーマンショックである。

同年9月のことだった。アメリカの投資銀行、リーマンブラザーズが破綻した。それをきっかけに世界的な株価下落、金融不安が起き、同時不況となったのである。

自動車業界も影響を受け、トヨタは翌2009年の決算で4610億円の赤字となった。これは創業期以来のことだ。リーマンショックでは先進国の新車需要は止まり、トヨタだけでなく自動車各社は赤字になっている。GM、クライスラー、サーブは破綻し、富裕層の固定客を持つ、あのポルシェまでが苦境に陥った。

「他社に比べればトヨタはまだいい方じゃないか」

そんな声もなかったわけではない。しかし、トヨタの現場には悲壮感が漂っていた。

「不況の時、減産に対しても利益を確保できる」ことがトヨタ生産方式の特徴とされていたのに、リーマンショックではそれがまったく通用しなかったからだ。

同社の原則、トヨタ生産方式が形骸化していたことが明らかになったのがリーマンショックだった。

人も設備も機械も増やし急成長を遂げていた

危機に至るまでの推移は次のようなものだった。リーマンショック直前までトヨタの業績は右上がりだったのである。

「2007年末時点でのトヨタの海外生産拠点(エンジンなどユニット工場を含む)は、27カ国・地域で53事業体を数え、それまで10年間の1.5倍に増加した。また、日野自動車とダイハツ工業を加えた連結ベースの世界生産台数は、2000年の594万台から、2007年には950万台へと拡大していった。7年間で356万台の増加であり、年平均で約50万台の成長が続いた。トヨタの生産拡大は海外を中心に、年産能力20万台規模の工場を毎年2~3カ所新設するハイペースで進んだことになる」(『トヨタ自動車75年史』)

毎年、50万台の増産とは2年に一度、スバル(年産約100万台)と同じ規模の自動車会社ができるのと同じだ。人も設備も機械もどんどん増やしていって、コントロールが効かない状態になっていたのである。

そして、新設した工場ではトヨタ生産方式の指導が行き渡っていなかった。新設工場では部品在庫も完成車在庫も膨らんでいたのである。