素人の素人による素人のためのニュース

最近の記者というのは、テレビでスポーツ中継を見たり、テレビでコメンテーターがコメントしているのを見たりして、記事を書くというのだ。こたつに入りながら書くものだから、業界では「こたつ記事」というらしい。しかも、ネット上ではそうした記事がサイト全体のアクセス数の半分を占めていたりするというから世も末だ。

そうした場合、もしコメンテーターが専門家だったらまだいいけれど、専門家の顔をした素人がコメンテーターを務めている場合はどうなるだろうか。

結果、素人が言ったことを、素人のライター(もはや記者ではない)がまとめて、それを素人が見て、納得しているという、素人の素人による素人のためのニュースが日々流れているわけで、フェイクニュースが横行するのも無理はないというのが、メディアの現状なのだ。

10人中2人が知っている情報に価値はない

私が情報の価値を測るときに、指標としているのは、先述したように、顔の見える専門家から直接聞くことに加え、10人のうち2人以上がその情報を知っているかどうかを意識している。

成毛眞『アフターコロナの生存戦略』(KADOKAWA)
成毛眞『アフターコロナの生存戦略』(KADOKAWA)

もし10人のうち1人しか知らない情報であれば、その情報は極めて価値が高いといえるからだ。もし、10人のうち2人以上が「ああ、あれね」というのであれば、残念ながらその情報に価値はない。

出版なども同じ。誰もが知っているようなことはノンフィクション作品には絶対にならない。誰も知らないからこそ、ノンフィクションとして成立するのだ。

眉唾な情報か、新情報かを見分けるのは人脈と経験、といってしまえばそれまでだが、やはりある程度の知識量は必要だろう。また、一次情報を得るのが難しい場合は、情報の出どころ、どこの新聞の報道か、どんな出版社の出版物か、なんというテレビ番組のネタかといったことにも注意を払いたい。